「佐賀県」 2003年
5月23日(金)

  ここ一週間、風邪をひいていてなかなか仕事に集中できない。
そこでおととい、サボ…いや、たまの息抜きにタワーレコードに行った。

 あてもなくCDを見ていたら、すごいタイトルのCDが売り出し中だった。


  「佐賀県」/はなわ


 ジャケットには「佐賀県」の文字と、絶叫する男の顔。
佐賀県を揶揄した歌であることは一目でわかった。

 実は私、仕事で佐賀県に4年間住んでいたことがある。
“佐賀県評論家”として、そのいいところ悪いところを知り尽くしている。

 とりつかれたかのように買ってしまい、
さっそく聴いてみたのだが、想像以上にすばらしい。
http://www.teichiku.co.jp/artist/hanawa/index.html

 ベース弾き語りのお笑い芸人・はなわが
故郷である佐賀県を屈折した愛を込めて歌いあげている。

 ひどいことを書きまくっているように見えるが、そうではない。
単にけなそうと思えば、、もっとひどいことはいくらでも書ける。
しかし郷土への愛ゆえに、はなわはわざと架空のことを書いたり、
手心を加えているのだ。

 また、ビデオクリップもなかなかよい。
http://www.teichiku.co.jp/artist/hanawa/index.html
佐賀駅、唐津、吉野ヶ里遺跡と、県内数か所での安直なロケと編集。
“こんなのだったら私のほうがよっぽど面白く作れる”と思わせる
チープな作りが、異常なまでに曲に合っているのだ。


 しかし、である。


 このビデオクリップを繰り返し見ていくうちに、
不思議な人物が映っていることに気がついた。

  グレーのスーツに黄色いシャツ、黄色いネクタイの中年のにやけた男。

 異常にうれしそうに、ヘタな踊りをしながら「S・A・G・A さが〜」の
合いの手を入れている。


 コイツはいったい誰だ?


  もちろん、このクリップにはほかにもエキストラが出演している。
居酒屋の店員のおねえちゃん、佐賀駅でおどける兄ちゃん。
いかにも田舎の大家族。
でもそれは、なんとなく出演する理由がわかる。

 しかし、この男だけはなぜ選ばれたのかがわからない。
この人物にどういう意味があるのか、がわからないのである。


  さっき福岡の実家に電話したとき、驚愕の事実が判明した。



  佐賀県知事なのである。


  今年4月、史上最年少知事(当時)として当選した古川 康知事(44)が、
みずからビデオクリップに出演しているというのだ。

 理由は、
「こんな歌をあえて笑い飛ばせるくらいでないと。
 笑い飛ばすことで懐の深さと余裕を見せるというのが新しい佐賀県。」
なのだという。

 たしかに、そう言われればそういう気もするのだが…。



  たいじょうぶか?佐賀県。









1000と1000尋。 2003年
5月21日(水)

先日、「ある新聞社のおちゃめな広告」の話をしましたが、
この新聞社は、日本で初めてコンピュータを使った紙面製作に取り組み、
それと相前後して記事のデータベース化に着手したことでも知られます。

そしていまやこの新聞社のデータベースの蓄積は他の追随を許さず、
また、このシステムを応用することで、ホームページでのニュースの
速報性でも日本一ではないかと言われています。

しかし、新聞記事とデータベースのシステムを共有することは、
意外な問題があるようです。
そのひとつが、「縦書き」と「横書き」の問題。
紙面が縦書きなのに対し、データベースやホームページが横書きなため
細かいところで、表記の違いが出てしまうのです。。

その代表が数字の表記です。
新聞記事の「千円」は、データベースでは「1000円」に
変更しなければなりません。

これは意外とややこしい。
手書きで変更していては手間がかかりますので
この新聞社では機械的に変更することにしたようです。
「千円」と書いてあれば、ソフトウェアが自動的に「1000円」と
変更するように。これで人手は大幅に省けます。

そのソフト導入のためなのでしょう。最近、この新聞では
「一千万円」と表記すべきところを「千万円」と書くようになりました。
「一千万円」と原稿に書いてあると、ソフトウェアが自動的に「11000万円」に
してしまい、誤報の可能性があるためでしょう。
言いかたは悪いですが、これはコンピュータに人間が従属した例と
言えるでしょう。


しかし、そんなことはささいな問題。

さきほど、この新聞社のホームページを読んでました。
読んでたのは「音楽著作権使用料」に関する記事です。


「…著作権使用料の昨年度の分配額1位は、
 アニメ映画「1000と1000尋の神隠し」のBGM。」


…一瞬、なんのことだかわかりませんでした。(^◇^;)わかります?


このまんま公開しちゃうなんて、
ほんっと、どこまでもおちゃめな新聞社のようです。ヽ( ´ー`)ノふっ


                                   (実話)

緊急事態。 2003年
5月19日(月)

朝、目が覚めたら下腹部に激痛が。
左足の付け根のちょっと上。背中に突き抜けるような鈍い痛み。

ついに大暴れを始めたか---。

実は私は胆石持ち。
「もしお腹が痛くなって、七転八倒することがあったら
 すぐに救急車を呼んで、“胆石があります”と告げてくださいね」
そう医者に宣告されている。

来るときが来た。
覚悟を決めて荷物をまとめにかかる。
このまま病院に持っていこうというのではない。
即入院、となった場合、すぐに取りに帰って来られるようにだ。
そうじゃないと、姉貴や両親がこの部屋に来てしまう。
見せられないもの多数。
この部屋の惨状を見せるわけにはかない。
親を泣かせてはいけない。

病院にはタクシーで駆け込んだ。
救急車を呼ぼうかと一瞬考えたが、
七転八倒まではしてないと自己判断、遠慮した。

しかしこの病院、大病院だけあってこういうときも官僚的。
救急車呼ぶほど痛いから急いで診て、ってお願いしたのに
延々と待たされた。
やっぱり救急車で来るべきだったと後悔する。
そしたらタクシー代2000円も浮いたのに。

ウンウン言いながら待つこと45分。

突如、痛みが消えた。

お腹のなかで“グゥォン”と、何かが動いた感触がした。
しかも間が悪いことに、その直後に診察室に呼び込みがあった。

“あのぉ…、たったいま、痛くなくなっちゃったんですけど…。”

これじゃまるで、診察の順番を上げてもらおうと、
大したことない痛みを大げさに言ったわがままおやじじゃないか。
非常に気まずい。

そしてレントゲンと血液検査の結果、下された診断は

『単なる便秘』。(^◇^;)

思い起こせば、たしかにここ二日間、出るものが出てない。
普通ならば最低一回、多い日には三回出るというのに。
下剤をもらい、とりあえず出すものは出した。

でも、翌日も翌々日も同じ場所が痛む。
そんな便秘ってあるのでしょうか。(^〜^;)ムゥ


見通せない未来。 2003年
5月18日(日)

 むかしむかし。
卒業旅行でヨーロッパを放浪しました。
西ドイツから東ドイツ、チェコスロバキアを駆け抜けてウィーンへ。

 当時まだ、ベルリンの壁がありました。
ソビエト連邦があり、東ヨーロッパには共産主義諸国が連なっていました。
“冷戦”という言葉が当たり前だった時代。

 その旅で見たのは、強固な共産主義体制と恐怖政治でした。

 チェコスロバキアで見たテレビニュースのトップはソ連のニュース。
街は、ロシア革命70周年を祝う真紅の飾りつけだけがきらびやかでした。
 一杯のコーヒーを飲もうと差し出した1ドル紙幣に、
驚愕の表情をあらわにし、奪い取るように受け取ったキオスクの老婆。
人々を支配していたのは、絶望的な空気でした。

 私が生きてるうちに共産主義が崩壊することはないだろう---。
この旅で感じたのは、自分の無力さと暗澹たる気持ちでした。

  いま、それらの国は消滅し、
共産主義はこの世のほとんどから姿を消してしまいました。

 たった15年前なのに。


「銀行だったらつぶれることはないからいいよね。」

 我々が就職活動をはじめようとするころ、必ずこの言葉が出ました。
当時はバブルの始まる直前。
13の都市銀行を頂点とする金融機関は花形の職種であり、
成績のいい者、目先の利く者はみんな銀行を目指したものでした。

“大和と協和が合併して大協和銀行。”なんて冗談は飛ばしていましたが、
まさか都市銀行が国有化されてしまう時代が来るなんて、
我々が学生の頃にはどんなウソつきでも考えつかなかったことです。

 たった15年前なのに。

 きのう、りそな銀行が事実上の国有化されることが決まりました。
りそなには、学生時代のサークルの先輩も数人います。


 その15年ほどの未来ですら見通せない時代に、
我々は生きていかねばならないのです。


シャトー・マルゴー 2003年
5月11日(日)

ある女性と飲むために、とっておきのワインを用意した。

シャトー・マルゴー

といっても、
“パヴィヨン・ルージュ・ド・シャトー・マルゴー”という
6000円くらいのセカンドラベル。
しかし2000年のものは非常に評価が高い。

どんなバカ女でも、シャトー・マルゴーだったら感激してくれるだろう。

満を持して袋から取り出し、シャトー・マルゴーを女に見せた。

「あ、このワイン知ってる!見たことある!
 もらいものでウチにあったから、こないだカレー作るときに使っちゃった
 ほら、ウチってみんなほとんどお酒飲まないから。」

…ホントに首絞めてやろうかと思った。


こんな店もある。 2003年
5月5日(祝)

井の頭通りからちょっと右に入ったバーに久しぶりに行ってみました。
この店、たくさんのカクテルやモルトウィスキーが置いてあり、
食事も魚のカルパッチョなんかがおいしいため、昔よく通ってました。

ここで頼んだのが「鳥飼」という焼酎。
新しく加わっていた日本酒や焼酎のメニューのひとつです。
熊本の米焼酎で、日本酒の香りのいい部分だけを閉じ込めたかのような
独特の香りがあり、私の好きな焼酎のひとつ。

しかし、でてきた酒はまったく別の酒でした。
香りもなく、味も薄く、「いいちこ」を水で薄めて飲んでいるかのようです。
あまりにもおかしいので、2杯目を頼むとき
「鳥飼のロックを頼んだんだけどこれって間違ってなかった?」と言うと
間違ってません、との返事。

しかし、2杯目にでてきたのはちゃんとした味の「鳥飼」でした。

不景気による経営悪化のせいでしょうか。
渋谷って最近、こんな店が増えてきたようです。


真の国際化。 2003年
5月2日(金)

先日のことです。
渋谷の坦々麺で有名な店で、注文の品が出てくるのを待っていました。
するとカウンターの隣の席に、外国人二人組が。

…メニューは日本語しか書いてないけど、頼めるのかな?

するとひとりが「これ」
指さしたのは坦々麺です。

おいおい、ほんとにわかって頼んでるの?
それってすごく辛いんだよ。大丈夫?

私がハラハラするのをよそに、
二人は図面を広げ、打ち合わせを始めます。
どうやら二人はシステムエンジニアのよう。
難しい英語が飛び交い、周囲を気にする様子もありません。

そして、坦々麺が運ばれてきました。

じっと見つめるふたり。
しばらくの沈黙のあと、ひとりが日本語を発しました。

「ごはんください。」

その後、ふたりは割り箸を割り、
上手に音を立てながら麺をすすっていきました。

その瞬間、なぜか日本の真の国際化を見たような気がしました。


カツ丼。 2003年
4月15日(火)

先日、吉野家で牛丼をかき込んでいると、入ってきたおじさんがひとこと。

「すみません、カツ丼ひとつ。」


…目が点になってしまいました。

だってここは吉野家。
「早い、安い、…
(略)」の吉野家なのです。

一瞬ひるんだ店員が、
「すみません、カツ丼は隣のお店なんですけど…」と答えると
次にひるんだのはその客のほうでした。

「う…。じゃあ…牛丼。…並で。

狼狽のあまり視線は宙を泳ぎ、絞り出すのがやっとといった声。
そのおじさんの姿はまるで、
勇ましく仇討ちに行ったもののあえなく返り討ちにあってしまった、
なりそこないの赤穂浪士のようでした。

店を出てみました。
たしかに隣の立ち食い蕎麦屋との間にカツ丼の立て看板がありました。
しかし、大きなカツ丼の写真の横には、
はっきりと「富○そばのカツ丼」の文字が書いてありました。

そのおじさんにしてみれば、
「おぉ、吉野家についにカツ丼が登場したか!さっそく食わねば。」と
喜びに目を輝かせながら店に入ったんでしょう。

でも、いくらなんでも吉野家でカツ丼だなんて、
エイプリルフールじゃあるまいし、ねぇ。ヽ( ´ー`)ノふっ


夫婦の現実。 2003年
4月12日(土)

最近知り合ったパクさんという方の著作を読んだんですが、
そのなかにあったエピソードに考えさせられました。

私の知人の男性が結婚して3年後、妻が家から出ていった。
そのとき彼女が彼に残した捨てぜりふは
「あなたはこの3年間、私が何を考えていたか分からないでしょ」
だった。
まもなくこの夫婦は離婚したが、彼はいまだに彼女が
何を考えていたか分からないという。
「どうして分からないの」と聞くと、
「彼女とはそんなことを話したことがなかったもの」と
いうものだった。
   「会社人間が会社をつぶす〜ワーク・ライフ・バランスの提案〜」
                       パク・ジョアン・スックチャ著 朝日選書

この本は、「ワーク・ライフ・バランス」という、仕事と私生活の両立を
企業の施策として行い、成果を上げている欧米企業のシステムを
紹介し、普及させようという本なんですが、その前提として書かれた
日本の夫婦、日本の家庭の空疎さにはあらためて考えさせられます。

妻が何を考えているかなんてことに、思いがおよばない夫。
忙しさを言い訳にし、仕事以外に何も残らない生活が当たり前。

「自分が愛しているんだから、相手も愛してくれてるはず」という
幻想が、夫婦の会話をさらに貧しいものにしてしまうのでは
ないでしょうか。

近い将来、自分がこういう状況にならないと言い切る自信なんて
まったくないだけに、重いものを突きつけられた感じでした。

あなたは、どうですか。


最後の桜。 2003年
4月7日(日)

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし


最近、この歌が心のなかで共鳴し続けています。
満開の桜を見ると、どうしても視線が釘付けになってしまい、
心にさざ波がたってしまうのです。

いまを逃せば、満開の桜はもう見ることができないかもしれない。
もしかしたら、もう二度と見ないまま---。

そういう一種の強迫観念が、心を激しく揺さぶるのでしょう。

きょう、我が国初の近代的集合住宅のひとつ、
同潤会江戸川アパートメントを久しぶりに訪れました。

アパートの象徴とも言うべき300坪の大きな中庭。
その片隅に立つ大きな大きな一本の桜の木は、まさに満開で
私たちを迎えてくれました。

築68年。
日本の近代化を見つめ続けてきた江戸川アパートは
この5月、取り壊されます。

建物は朽ち、人は老いる。

切り倒される運命を知ってか知らずか、
桜は、最後の花を誇らしげに咲かせていました。


同潤会
江戸川アパートメント


「解放」という言葉。 2003年
4月6日(土)

ブッシュが使う「イラク解放」という言葉。

「解放」という言葉ほど、うさん臭い言葉はないような気がします。

いったい、なにが「解放」されると言うのでしょうか。

私が子どもの頃、ベトナム戦争が終わりました。
新聞やテレビにあふれたのは「サイゴン解放」という言葉。
それはまるで、共産主義が勝てば人々は自由になり、
豊かになれるかのような幻想を与える言葉でした。

しかし、その後のベトナムはどうだったでしょう。

「世界の孤児」と呼ばれ、最貧国のひとつに数えられたベトナム。
着の身着のままでボートに乗り、
多くの国民が祖国を捨てたベトナム。

大河メコンが流れる肥沃な大地がありながら、
共産化されたベトナムに、「解放」などなかったのです。


そしていま、「解放」という言葉を使うのは、
ベトナムに敗れた国、アメリカ。

3月にブッシュが発表した「中東民主化構想」は、
フセイン政権を武力で打倒し「民主的な政権」を打ち立てることで
中東全体にも「アメリカ式民主主義」を広げていこうというもの。

アメリカが占領し、アメリカ式の民主主義を教え込めば、
人々はイスラム教という呪縛から解き放たれ、
アメリカの言いなりの国ができあがるだろう---。

「解放」という言葉は、いつの時代も
“解放される側”の言葉ではありません。
新たな隷属を強いる側が、その苦しさを隠すためのオブラート。
偽りの正義をまとうための言葉でしかないのです。


吟醸酒と純米酒。 2003年
3月28日(金)

吟醸酒が嫌いです。
吟醸酒を飲むと、身体がかゆくなるからです。

原因は、醸造用アルコール。

吟醸酒のほとんどには、口当たりを良くするために
醸造用アルコールが添加されています。

醸造用アルコールは、ほとんどが工業的に生産されたもので、
米からできたものではありません。
そして醸造用アルコールを加える、と言う点においては、
大吟醸もいわゆる「三倍醸造酒」も変わりません。
あるのは、「口当たりを良くする」か「生産量を水増しする」かの
目的の違いと、加える量の違いだけなのです。

全国的には「吟醸ブーム」なんてとうの昔に去り、
いま日本酒の主流は純米酒となっています。

大麦・ホップ・水・酵母しか原料として認めない
ドイツの「ビール純粋法」のように、
米から作られた酒だけが、日本酒であるという認識。
この当たり前のことが、やっと浸透したのです。

しかし広島では、いまだに吟醸酒ばかりを褒めそやす酒屋や
飲み屋が幅をきかせているようです。
せっかくおいしい料理を作っていても、
料理にまったく合わない吟醸酒で台無しにしている店の
なんと多いことか。

「dancyu」3月号の日本酒特集に、また「竹鶴」が載ってました。
掲載されたのは「清酒竹鶴 純米」。
一升で2000円ちょっとという手頃な価格の純米酒ですが
選び抜かれたなかの第3位という堂々の成績。
さすが「竹鶴」です。

いま、「竹鶴」をいちばん評価できていないのは
地元・広島の酒屋や飲食店なんじゃないでしょうか。


覚悟のない人々 2003年
3月27日(木)

イラクに“人間の盾”として行った人々が
早くも逃げ帰ろうとしてるらしいですね。

「市街戦になれば、空爆からライフラインを守る行動は
 一定の目的を果たし、終わったことになる。
盾の人間を説得して一緒に出たい」と言ってるとか。

しかし、このセリフはどう聞いても、
“市街戦になったら自分の命が危険にさらされるから脱出したい”と
言ってるようにしか聞こえません。

しかも“脱出の安全が確保されるよう米国に働きかけてほしい”と
日本政府にお願いしているとのこと。

みずから進んで「戦場」に行ったんです。
命の危険があるのは最初からわかっていたはずです。
死ぬ覚悟もないんだったら、行かないほうがはるかにマシ。

イラク国民には、逃げようにも逃げる場所がありません。
その彼らを置いて、自分たちだけ安全に帰国したいだなんて
イラクの人々を見下し、バカにしているとしか言いようがない。

平和も民主主義も、本来、戦って勝ち取るもののはず。
こういう、覚悟のない“反戦平和”にはうんざりです。


意外なメリット? 2003年
3月26日(水)

「そっちにかけたら“お客様のご都合により…”って言うんだけど。」

友人からそう言われて、部屋の電話を止められていることに
気づきました。忙しさにかまけて料金を払いそびれていたのです。

「あちゃー、ネットができない。困ったなぁ。」

ネット中毒の私にとって、ネットに接続できないことは
普通の人々がテレビを見られないことより苦痛なのです。

ところが。
やってみるとネット接続はなんの問題もありません。
それどころか、電話も通常通りかけられます。

そう、ADSLって、電話を止められてもネット接続には
何も関係がないんですね。
しかも、電話もネット経由のIP電話ですからまったく支障がない。

アナログやISDNのときには、ネット接続は
アクセスポイントまで「電話をかける」形でしたから、
“電話を止められること”=“ネットができない”でした。

しかしADSLは接続のしかたが違うため、こんな不思議なことが
起きてしまうのです。

でも、それじゃあNTTにおカネを払い続ける意味って
いったいなんなんでしょうか。
いよいよわからなくなってしまいました。

(もちろん、このまま払い続けなければ、
 回線そのものを停止・撤去されてしまいますけどね)


開戦直前に思う。 2003年
3月20日(木)

戦争は、武力だけの戦いではない。

1992年、ソマリアに米軍部隊が上陸作戦を展開した。

「希望回復作戦」と名付けられた作戦は、
内戦が続き、二百万人の国民が飢餓にある状況を救うためのもの。
国際社会からの救援物資すら、武装集団によって略奪されるという
絶望的な状況を打開するためのものだった。

インド洋に浮かぶ揚陸強襲艦から
砂浜を上陸してくる完全武装の兵士1800人。

しかし、兵士を待ち構えていたのは武装集団ではなかった。
立ちはだかったのは、カメラの放列。
上陸作戦はデモンストレーションであり、茶番であった。

戦争は、情報の戦いでもある。

かつて、“イラク兵が保育器から赤ん坊を引き出し、
床に叩きつけて殺した”というひとりの少女の証言が、
アメリカの世論を動かし、湾岸戦争に突き動かした。

また、油にまみれ真っ黒になった水鳥の映像が
国際世論を揺さぶり、イラクに対する憎悪を高めた。

しかしこの少女の証言はウソであり、
水鳥の映像も、でっち上げであった。

少女自身は駐米クウェート大使の娘であり、
その背後には広告代理店がついていた。
水鳥の映像はアラスカで撮影されたことがわかっている。

戦争は、プロパガンダの戦いである。

これから始まろうとする戦争で、
どんな映像が飛び出し、我々を操ろうとするのか。

情報に隠されたウソを見抜く。
そういう意味で、今回の戦争は目が離せない。