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日越国家連合のススメ。 2010年
9月27日(月)




中国が、いよいよ牙を剥きはじめた---。


まともな思考能力を持つ日本人ならば、誰もがそう思ったことでしょう。


同時に、私たちがいかに論理的に正しく、他国に寛容であり続けたと
しても、戦争というものは起こされてしまう可能性があるということを
多くの人々が直感的に悟ったはずです。



いかに外交というものを甘く見ていたか。
いかに国家を背負う気概というものが欠如していたか。


今回、激しく非難されるべきは、言うまでもなく首相の菅直人と
仙石・前原・岡田といった閣僚の面々です。

彼らの発する「粛々と」という言葉の背景には、結局なんの戦略も
思慮もないことが明らかになりました。明らかになったのは、彼らの
耐え難いまでの「幼稚さ」だけでした。


思えば2004年、中国の活動家7人が尖閣諸島に上陸し、不法入国
容疑で逮捕されたとき、当時の小泉内閣は起訴しないまま強制送還
するという決着をはかっています。

当時、“弱腰”と批判されたこの判断は、結局は早期収拾につながり、
日本の権益を守るという点で正しかったことが図らずも今回、明らかに
なりました。

つまり、靖国神社への参拝などであれだけ中国を刺激し続けた
小泉のほうが、ちゃんと落としどころを知っていたというのですから、
これはもう皮肉以外の何物でもありません。


今回の事件で、今後東シナ海の白樺ガス田での中国の“盗掘”を
止める手立てはなくなってしまったのかもしれません。

またこのまま放置すれば、日本周辺海域での中国の横暴な
振る舞いがさらにエスカレートすることも避けられないでしょう。


那覇地検が中国人船長の釈放を決めた2010年9月24日は、
日本という国家が中国の圧力に屈した「国辱の日」
として、
長く日本人の記憶にとどめられることになるのでしょう。






さて、「亡国の内閣」はいつか消えてくれることを願うとして、
これから我が国は、膨張する中国に対してどう向き合い、
どのようにして領土と国民を守っていけばいいのか。


その唯一の道が、「日越国家連合」であると私は考えます。

これは、私が1999年から毎年のようにベトナムを旅し、現地の人々と
交流を重ねてきた経験からの結論です。



日本とベトナム。

このふたつの国は、遠くにあって実はよく似ています。




ひとつは、その国民性。

温厚かつ勤勉、そして粘り強いという点で、これほど日本人と似た
民族を私は知りません。



大乗仏教をベースにしたおおらかな宗教観を持っていることも
共通点で、他の宗教を排斥するような原理主義的な考え方を
しません。

最近の経済発展によって拝金主義的になったとは言いますが、
ほとんどの人々は素朴で実直。将来に希望を持って生きています。
かつての高度成長期の日本人のようです。




もうひとつは、中国との距離感。

中国に隣接し、歴史的に中国に大きな影響を受けながらも
独立した国家として中国と対峙してきた点で、日本とベトナムの
中国に対する距離感はそっくりです。

とくにそれが表れているのは、言葉。

たとえば「豆腐」はベトナム語で「ダオフー」。
「注意」はベトナム語で「チュゥイー」。
日本語とベトナム語には実にたくさんの似た単語があるのです。



これは言うまでもなく、ともに漢字がもとになったから。
しかし両国は中国語をそのまま受け入れるのではなく、それぞれの
言葉に変容させながら組み込んできました。
まさに「和魂洋才」の精神で、つかず離れず中国と接してきたのです。


そして、両国は味覚も同じ。

コメを基礎食糧とし、魚介類を蛋白源とする食生活はまさに瓜二つ。
さらに唐辛子などの辛味を多用せず、うま味を重視する点でも同じ。



ベトナム料理が、ほかのどのアジア諸国の料理よりも日本人の味覚に
合うものであることは、一度でも食べたことのあるひとなら理解できる
ことでしょう。



結婚生活ではないですが、味覚が近いということは末永く一緒に
やっていく意味で非常に重要なことだと思います。



この、双子ともいうべき日越ふたつの国家が、ゆるやかな連合を
組み、積極的にヒトとモノの交流を進めていく。

それは、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)を超え、労働力の
移動や移民の自由を含めた民族の交流の拡大につなげていくもの。

労働力の問題、高齢化・少子化の問題、いま日本が抱える問題の多くが
このゆるやかな国家連合によって改善に向かい、日本の“再起動”の
大きなきっかけとなるはずです。



一方でベトナムにとっても、日本の技術の導入や観光・移住などの
ヒトの交流の拡大は、経済発展の起爆剤となることでしょう。




そして東と南で中国を囲む日越両国が手を結ぶことで、中国の
海洋権益の覇権という野望を食い止め、周囲の海の安全を
守ることができるはずです。


かつて、日本人がドイツを旅すると、「こんどはイタリア抜きでやろうな」
声をかけられる、というジョークとも本気ともつかないエピソードが
ありました。

日本とベトナムならさしずめ「こんどは一緒にアメリカをやっつけような」
というジョークでしょうか。

そう、米国と戦争をしたという歴史でも両国は共通します。




それがこんどは、「一緒に中国を羽交い絞めしような」であっても
いいはずです。



「日越国家連合」


日本の将来のために、検討に値すると信じます。




                                                (敬称略)



この文章へのリンク
http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100927


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飽きんのか? 2010年
9月26日(日)




ある店で、ふと目にした光景です。




白人の男女3人の食事風景。



よく見ると…。



なんと、直径30cmはあろうかという大きなピザをひとり一枚ずつ
“自分専用”で食べ続けています。



私の“常識”からすれば、ピザというものは分け合うもの。

数種類を取ってみんなでいろんな味を楽しむ、というのが
普通の日本人だと思うのですが、いかがでしょう。


なのにこの連中は自分の前のピザだけを黙々と。


…同じ味で飽きんのか?




一方、女性のほうはといえば、量が多いことで有名な
この店のパスタのほかに、キノコソテーのサラダまで。






やっぱりこいつらおかしいわ…。


いくら日本人の食事が西洋化したといっても、
まだまだ越えられない一線があるようです。


量的に。





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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100926


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続・絶海の孤島。 2010年
9月25日(土)




小笠原諸島の人々に、「ウチよりも“絶海の孤島”にふさわしい」と
言われてしまった青ヶ島。




目くそ鼻くそと思ったのですが、実際に調べてみると
たしかにこの島の“絶海の孤島っぷり”はなかなかのものです。

伊豆諸島の南端に位置する青ヶ島は、人口わずか200人足らず。
島全体がひとつの村・青ヶ島村となっていて、東京都に属しながら
日本でいちばん小さな地方自治体となっています。


青ヶ島のある場所こそ「八丈島の南70km」という近さで、
“絶海”と言うにはちょっと物足りないスペック。


大きな地図で表示


しかし八丈島との間の定期船は平日の毎日運行にも関わらず
10便に4便以上が欠航するという低い就航率。
冬は2週間以上も船が来ないことがあるといいます。


というのも、この島のある海域は黒潮の通り道。



潮の流れが速く、海はいつも大きくうねっています。
小笠原航路で、おがさわら丸が大きく揺れるのも
たしかにこの海域です。

人を寄せ付けない海、という意味では立派な“絶海”と
言えることでしょう。


また、島そのものの形が火山の火口そのもの。



島全体が二重カルデラとなっていて、
住民は外輪山の縁にへばりつくようにして住む状態。

島の周囲はすべて50m以上の断崖絶壁となっていて、
砂浜はおろか、大きな船が接岸できる港もありません。

まさに“絶海の孤島”と呼ぶにふさわしい島のようです。


しかもこの島には、“幻の焼酎”があります。



青ヶ島焼酎、略して「あおちゅう」。

かつてこの島の主食だった“かんも”・サツマイモを原料とする
あおちゅうは、かつて、各家庭で勝手に作られ、島内だけで
消費される“幻の焼酎”でした。

そして、国税当局もこの絶海の孤島に渡る時間とコストに対し
納税額がまったく見合わないために事実上黙認してきたという
いわば公認密造酒。

現在でこそ共同醸造場が作られ、各家庭で作られることはなくなり
ましたが、それでも10人ほどの杜氏ごとに違う醸造タンクで仕込まれ、
それぞれの“家庭の味”がいまも守られています。

このあおちゅうの特徴は、他の地域では絶えた古来の製法で
つくられていること。

全国各地の焼酎は芋・麦・米など多様な原料から作られますが、
実は発酵の要である麹はほとんどすべて米を原料とする米麹。

しかしこの島の焼酎は麦麹を使い、しかも家庭にいるカビを
そのまま麹菌として利用するという非常に原始的な製法なのです。



なかでも「伝承」ブランドなど一部のものは、生産者自らが作った
芋や麦を使い、昔のままの製法にこだわって生産されているため、
密造酒時代のあおちゅうそのまま。

私も実際に浅沼キミ子さんという、普段は民宿と農業を営む
80すぎのおばあちゃんが造ったという一本を取り寄せてみましたが、
その独特の“セメダインのような香り”は強烈。

しかし口に含んでみると芋の香りが口いっぱいに広がって甘く、
なかなか病みつきになりそうな味。直売でも700mlで3,000円ほどと
焼酎としては高いですが、一度飲んでみる価値はあると感じました。



また、もうひとつ青ヶ島には知られざる美味が。



「島だれ」と呼ばれる調味料です。



醤油をベースに味噌、唐辛子などを合わせて作ったもので、
なかなか辛くておいしいたれとなっています。


青ヶ島ではこれを刺身につけて食べるとのこと。



隣の八丈島では刺身を食べる際、わさびの代わりに唐辛子を使うとは
聞いていましたが、青ヶ島では島だれで食べるのが普通なのだそうです。




この島だれ、先日の「東京愛らんどフェア」で売っていたものですが、
3種類置いてあったもののうち、この「マツミおばちゃん」ブランドのものが
いちばん辛く、島の人が実際に作って自分たちで使うものに近い
とのこと。



たしかに刺身も普通にわさび醤油で食べるよりも飽きが来ませんし、
肉や野菜など様々な素材に合いそうな万能調味料となっています。

これは掘り出し物でした。しばらく手放せなくなりそうです。

伊豆諸島・小笠原諸島の特産品の通信販売サイト「東京愛らんど」でも
販売していないため、なかなか入手は困難なようですが
これもまた一度は試してみる価値のある一品です。


堂々の“絶海の孤島”っぷりに、知られざる酒と美味。


青ヶ島はいつかぜひ行ってみたい島になりました。


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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100925


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絶海の孤島。 2010年
9月23日(木)




「あの、小笠原のことを“絶海の孤島”って呼んでもいいでしょうか?」


小笠原村の役場のひとに、こう尋ねたことがあります。




小笠原諸島に行ったことのある人ならばわかると思うのですが、
この島を表現するのに「絶海の孤島」という言葉ほどぴったりと
来る言葉はありません。

なにしろ周囲はすべて太平洋。
都心から南に1,000kmも離れ、伊豆七島の南端・八丈島からでも
700kmも離れてぽつんと浮かんでいます。



しかもこの島は誕生してから現在まで、一度たりともほかの陸地と
地続きになったことがありません。そのため生物は独自の進化を遂げ、
“東洋のガラパゴス”と言われるほど貴重な生物が数多く暮らして
います。




「絶海の孤島」とはまさにこの島(正確には島々ですが)に使わずしてどこで使う、
というほどぴったりの言葉だと私は確信しています。


ところがあるとき、“我こそは言葉の権威”だと思っている連中から、
「小笠原に絶海の孤島という表現はいかがなものか」とクレームが
つきました。


簡単に言うと「“絶海の孤島”は差別的な表現であり、
小笠原の人々が嫌がる」と言うのです。
しかし“絶海の孤島”は本来、島のありようを描写した言葉であり、
差別的要素など含んでいません。

しかも彼らに「小笠原の人々が嫌がるって、実際に聞いたの?」
と聞くと、「聞いてないけど、きっとそう思うはず」というお粗末さ。
それでは「言葉狩り」そのものです。


そこで実際に島の人々に尋ねてみよう、ということで冒頭の質問に
なったわけです。


「あの、私は実際に何度も島を訪れてみて、“絶海の孤島”こそが
小笠原を表現するのに最適な言葉だと思うのですが…。」




役場のひとは、しばらくの沈黙のあと、こう話しました。



「う~ん、絶海の孤島って、ウチよりも
青ヶ島のような島のことを言うんじゃないでしょうかねぇ」






それって、目くそ鼻くそでは…。




思わずそう口をついて出てきそうになりました。




                               (つづく)



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100923


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突き破れ。 2010年
9月7日(火)




福岡で見つけました。




アパートなどによくある、隣の部屋との間の衝立です。


火災など、いざというときにはこの衝立を突き破り、
隣の部屋のベランダを通って避難できるというもの。





しかしこの衝立…。






わざわざ突き破れと言われてもねぇ…。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100907


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死力を尽くした戦い。 2010年
9月5日(日)






「死力を尽くした戦い」という言葉の本当の意味を、
今回、私は全身で受け止め、理解することになりました。

それは、歴史に残る素晴らしい戦いでもありました。


きのう(9月4日)に後楽園ホールで行われた
東洋太平洋・日本スーパーウェルター級タイトルマッチ
チャーリー太田 vs 湯場忠志 。



米軍兵士として日本に来てから、“ダイエットのために”と始めた
ボクシングでチャンピオンの座に登りつめたチャーリー



身長168cmとこの階級としては小柄ながら、180cmを超える
リーチとすばぬけた破壊力を持つパンチ、それに人並みはずれた
打たれ強さが武器です。



英会話講師が本業である彼は、自分がチャンピオンであることで
子どもたちに夢と勇気を与えたいと願う心優しい勇者でもあります。



それに挑むのは、宮崎からやってきた33歳の湯場忠志


                                           (C)kondousanbox

今回、日本ボクシング史上初となる四階級制覇がかかっている
ということで、多くのメディアが湯場のほうを主人公にしたがって
いるようでしたが、正直、私はチャーリーの2ラウンドあたりでの
TKOを思い描いていました。


というのも前回見た彼の試合では、そんなにたいした選手に
見えなかったのです。

前回の試合とは、チャーリーの初防衛戦の日のセミファイナル。
この試合の勝者がチャーリーへの挑戦権を得るという挑戦者
決定戦だったのですが。この試合で見た湯場は2ラウンドTKOこそ
したものの、とくに光るところのない選手にしか見えませんでした。

また四階級制覇といっても、60kg前後のライト級からスタートした
ような身体で、はたしてスーパーウェルター級で効くようなパンチを
繰り出せるのか。さらにチャーリーの重いパンチに耐えられるのか。

私の場合、多分にひいきや先入観があったとはいえ、陣営だけでなく
多くの人々がチャーリーの圧倒的有利だと思っていたはずです。



ところが、今回の湯葉はリングで大きく見えました。



                                           (C)kondousanbox

もともとの身長が183cmと大柄ではあるものの、
きちっと身体を作ってきていて、動きも軽快かつ機敏。


そしてなによりも目がよかった。

序盤からチャーリーのスピードあるジャブ・ストレートをしっかり見極め、
巧みにいなしていきます。ダメージを受けるようなパンチを食らうことが
中盤まではほとんどなく、試合の流れを渡すことがありません。


                                           (C)kondousanbox

一方のチャーリーは、先月米国の故郷への里帰りをしたことなどで、
身体づくりが一歩出遅れた感がありました。

試合では確実にジャブでポイントを稼いでいこうとするものの、
決定打を打つことができず、逆に湯葉の左からのボディー攻撃を
受けてしまいます。


さらにこのとき、チャーリーの悪いクセが。

有効打を受けたときのチャーリーはいつも、それが効いてないことを
アピールしようと、ノーガードになって前に出て相手を挑発します。

それはまるで「効いてないも~ん。ほらほら~」と言ってるかのよう。


                                           (C)kondousanbox

並外れた打たれ強さを示すことで相手を威圧し、戦意をそぐという
点では、前回のキング・デビッドソンとの初防衛戦でそこそこ
有効だったのかもしれませんが、今回の湯場はそこを完全に
見切っていて、その瞬間を狙いすまして連打を浴びせてきます。


                                           (C)kondousanbox

湯場の攻勢に、地鳴りが響きわたる後楽園ホール。

チャーリーにとってはまったくの裏目。
連打でダメージを受け、足が止まってしまうことさえありました。

チャーリーのこのクセは治さないと、いつか命取りになりかねません。



オープンスコアリングシステムだったため、4回と8回の終了後に
採点が公表されたのですが、4回では2-1でチャーリーだったのが、
8回では1-1のドロー。つまり中盤は湯場が優勢。

私も、このままの流れではもしかしたら…と焦りました。


しかし試合の流れが変わったのは最後の3ラウンド。


                                           (C)kondousanbox

さすがに疲れが出たのか、動きが鈍った湯場にチャーリーが猛然と
襲いかかります。しかし果敢に応戦する湯場。ときに激しいパンチの
応酬となりますが、形勢は徐々にチャーリーのもとへ。


                                           (C)kondousanbox

そして最終12ラウンド。

もはや試合は一方的になり、チャーリーのパンチが次々と湯場の顔に
炸裂する状態。最後の20秒、湯場はよく立ち続けることができたと
思います。


                                           (C)kondousanbox

しかしチャーリーもあと一歩のところでダウンを奪えず試合は終了。


気がつけば、私は声が枯れてしまいまったく音にならない状態。
カラオケでも3曲歌えば喉がつぶれる“ガラスの声帯”とはいえ、
今回はさすがにしびれました。



判定は3-0でチャーリーが圧倒。


                                           (C)kondousanbox

東洋太平洋タイトルは二度目、日本タイトルは初となる防衛を果たし、
また一歩“世界”に近づきましたが、今回の戦いはまさにふたりが
持てるすべてを出し切った、「死力を尽くした戦い」そのものでした。


ぜひ、もう一度このふたりを戦わせてやりたい。


おそらく、後楽園ホールにいたすべての人々がそう思ったはずです。





今回の試合は9日(木)の深夜、CS放送の
日テレG+で放送されます。


見られる環境にあるかたはぜひ見てみてください。

死力を尽くした戦いとはどんな戦いだったのかを
ぜひ知ってほしいと思います。


                            (敬称略)

この文章へのリンク
http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100905


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とっておき!!のラー油。 2010年
8月31日(火)




世はいつのまにか空前のラー油ブーム。


しかし私には、ブームになる前から愛用している
まさに“とっておき”のおいしいラー油があります。





「薬膳島辣油(やくぜんしまラー油)」。






東京都心から南に1000㎞離れた絶海の孤島・小笠原諸島の
父島で作られているラー油で、しびれるような辛さのなかに
うま味とコクが入り交じっているまさに“辛くておいしいラー油”です。



“薬膳”の名はウコン、アロエ、グァバ葉など
様々な材料が溶かし込まれていることからつけられ、
しびれるような辛さは島唐辛子と花椒から引き出されたもの。



この島唐辛子はあのハバネロに優るとも劣らない辛さを持つと言われ、
戦前、硫黄島の特産品として栽培されてきました。



しかし大戦末期に硫黄島は激戦地となり、全土が荒廃。
多数の戦死者の遺骨が眠ることもあり、終戦後は一般人の居住が
認められなくなってしまいます。

そのため島唐辛子は種が父島に移植され、栽培が続けられてきました。


この島唐辛子の辛さを生かし、特産品としてアピールしようと
誕生したのが「薬膳島辣油」。





溶かしこまれたウコンやクコの実などが沈殿しているため、
瓶には「私を振って!!」の文字が。

なかなか笑ってしまうキャッチーなコピーですが、
実際にこれらの粒子とともに味わうとコクと深みがでてきます。



このラー油、実に様々な場面で重宝します。





たとえば、カレーの辛さ倍増に。




花椒のしびれるような辛さや“薬膳”のコクも加わり、
ただ辛くするだけでなくさらにおいしくしてくれます。




そのほか、餃子などの本来の使い道はもちろんのこと、
冷奴などにもおすすめ。



南の島で太陽をいっぱい浴びた島唐辛子の、ひと味違う辛さを
ぜひ一度、堪能してみてください。


                 ☆


この「薬膳島辣油」は、9月7・8日に新宿西口で開かれる
「東京愛らんどフェア」で販売される予定ですので、ぜひ
手にとってみてください。


また、(財)東京都島しょ振興公社の通信販売もあります。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100831


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軍艦島。 その2 2010年
8月22日(日)



※お願い) 最初にお読みになるときは「その1」からお進みください




長崎の沖に、廃墟となったコンクリートの島がある――。





軍艦島の存在はずっと前から知っていましたが、
実際に行くまでが大変でした。



炭鉱が閉山した昭和49年(1974年)以来、30年以上にわたって
無人島となった軍艦島。

近代化遺産としての価値が認められ、上陸ツアーが始まったのは
去年(2009年)の春からでした。


折からの廃墟ブームもあり1年間に6万人近くの人々が上陸する
人気となりましたが、問題は欠航率の多さと上陸可能性の低さ。

長崎から船でわずか30分あまりの場所にあるとはいえ、
軍艦島は外海に浮かぶ島。東シナ海の荒波にもまれ、冬は北から
季節風に直接さらされる島なのです。

上陸できるのは、年間通して100日ほどしかないといいます。


大きな地図で表示


今回、私は何がなんでも軍艦島に上陸すべく、当時すでに
予約が埋まっていた日を除く8月10、12、14、15に
順次予約を入れ、万全を期したつもりでした。

ところが10日に台風が来てから欠航続きで、14日までの
予約便はすべて欠航してしまいます。


もう夏休みは残っていません。
最終日に一縷の望みを賭けて15日の早朝、長崎に向かいました。



JR九州の特急は、ヨーロッパスタイルのデザイン。



国鉄民営化の際にボロい車両を押しつけられ、更新時期が
早く来たのを逆手にとって、斬新なデザインの新型車両を投入。



いまでは九州は「観光列車王国」と呼ばれ、
鉄道マニアの憧れの地となっています。



しかし快適な列車の旅とは裏腹に、この時点ではまだ予約した
午前9時発のツアーが運航するかどうか決定していません。




祈るような気持ちの私を乗せ、
「かもめ」は有明海に沿って走り続けます



日本一の干満の差が独特の風景を織りなす有明海。
奥に見える山は島原半島の山々です。



8時過ぎ。
諫早付近まで来たところで欠航が決定しました。

しかしもう長崎に行くしかありません。




長崎に着いてみると街は龍馬だらけでした。



上陸ツアーは欠航したものの、軍艦島の周囲をまわる
「軍艦島クルーズ」は出航するということでしかたなくそちらを購入。



「わざわざ長崎まで来たんだから…。」と大部分の客が
こちらに乗り換えているようでしたが、船会社としては
欠航してもこちらに客が流れるのならば損はありません。



なんか騙されているような釈然としない気分を抱えながら
乗船しました。



長崎港の入口にかかる女神大橋を過ぎ、
伊王島をかすめると一気に波が荒くなってきます。


出港からおよそ30分。



前方に軍艦島が見えてきました。
写真の丸い島の右、四角い塊です。




船に乗り込んだとき、島の周りをどっち方向に回るのかを
乗組員に聞き、左回りという情報を仕入れておきました。



左舷側の席に陣取ったおかげで、島の姿は真正面に見えます。

ここからは、長崎港ターミナルにあった模型と比較しながら
見ていこうと思います。



これが島の全景。
南側から見た俯瞰です。

中央を貫く岩をはさんで、島は大きく北西側と南東側に分かれて
いますが、こちら南東側は石炭採掘のための施設が集中したところ。

閉山に伴い設備は撤去されたためほとんどなにも残っていません。


上の写真の右端(北東方向)に回り込んでみたのが下の写真。



小中学校跡です。高島町立端島小中学校跡。

狭い敷地だったため7階建てで、下が小学校で上が中学校。
給食用のリフトはあったそうですが、エレベーターはなかったそうです。

下の模型では左の建物が小中学校。



模型の右半分が下の写真になります。



右奥が65号棟と呼ばれたこの島最大の住宅棟。

戦争中に建設され、昭和20年に完成したこの建物は9階建て。
コの字型をし、300を超える世帯が暮らしていたそうです。

右端は病院。結核などのための隔離病棟もありました。

大きな公園と火葬場、墓地こそありませんでしたが、
それ以外の生活に必要な施設はすべて揃っていたとか。




船は、さらに島の右手(北側)に回り込んでいきます。



上の模型の、矢印の方向から撮ったのが下の写真。




奥にそびえ立つのが先ほどの65号棟。
手前に並ぶアパート(5階建て)と比べるとその巨大さがわかります。





島の北西側には、鉄筋コンクリート住宅がひしめき合うように
建ち並んでいます。



上の写真の中央部分が、この模型のあたり。




先ほども書きましたが、生活に必要なものはほぼすべて揃っていた
という軍艦島。

下の模型の、水色の屋根は映画館。赤い屋根は寺院です。




しかしこれらは木造だったため、すでに倒壊してしまっています。



自然の力の大きさをまざまざと見せつけられます。



午前中のツアーではこのあたり、島の北西で島影がシルエットとなり、
まさに軍艦のような異様な姿を堪能することができます。



大きな画像をご覧になりたいかたは上の写真をクリックしてみてください。

巨大パノラマ画像が見られますので。



そして船は島の南側に。




先の記事でも書いた、同潤会アパートよりも古い
日本最初の鉄筋コンクリート製集合住宅・30号棟。




大正5年(1916年)完成ですから、築94年。



壁はすでにほとんどが崩落し、柱もゆがんで見えますから
もう先は長くないでしょう。


南東側から見える岩山。



神社の本殿だけがぽつんと残っています。



鳥居も、木造の拝殿も崩壊してしまっています。

神様も少々さびしかろうに、と心配になります。




島じゅうに張りめぐらされていたという通路や階段も
崩壊を続けていました。



ここまで見てきた建物を、模型に落とすと下のようになります。




小さな島に、いかに多くの建物がひしめいていたか
わかってもらえるでしょうか。






海に浮かぶ廃墟の島。

容赦なく吹きつける風と駆け抜けていく時の流れは、
人々の営みの記憶さえも朽ち果てさせようとしていました。


ぜひまたもう一度訪れ、島をこの足で踏みしめてみたいと思います。




この文章へのリンク
http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100822


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軍艦島渡航記 その1 2010年
8月21日(土)




軍艦島に行ってきました。





軍艦島とは、長崎の沖合にある周囲1.2kmの小さな島。

本名は「端島(はしま)」と言いますが、写真の通り
その姿が軍艦のようにみえるために、いまでは
こちらの名前のほうが通りがよくなってしまいました。


なかでも戦艦「土佐」に似ているために名付けられたとか。

その「土佐」の写真。


                                                  (大正11年撮影・呉市海事歴史科学館所蔵)

見比べるとたしかに雰囲気がよく似ています。
「軍艦島」とはよく名付けたものです。



この島を軍艦に見せているのは、周囲を囲む高い堤防と
島を覆い尽くす鉄筋コンクリートの構造物。

その異様さは、見る者を圧倒します。



一定の年齢以上の世代にとっては
「さらば宇宙戦艦ヤマト」に出てきた敵の
都市帝国(白色彗星帝国)にも見えるかもしれません。




この島は、石炭の島でした。


かつて、海上に岩が突き出しただけの姿だったこの島が、
現在のような姿になるきっかけとなったのは、
明治23年(1890年)に三菱がこの島を購入したこと。



それまで小規模な採炭は行われていたものの
小さな島のためなかなかうまくいかなかったのを、
買収後の三菱は大がかりな開発に着手します。

島の周囲を埋め立て、護岸で固めることで島を大きくし、
新たな坑道を掘ることで出炭量を飛躍的に伸ばしたのです。


それとともに坑夫をはじめとする居住者の人口も増大、
彼らを住まわせるための集合住宅が次々と建てられていき、
島はコンクリートに覆われていきました。




驚くのは、日本で最初の鉄筋コンクリートのアパートが
この島にあることです。



上の写真の真ん中にある立方体に近い形の建物。
これが、日本初の鉄筋コンクリート製の集合住宅です。



30号棟と呼ばれ、鉱員たちが住んでいたこの建物は
大正5年(1916年)建築。

現在、表参道ヒルズとなっている同潤会青山アパートメントができたのが
大正15年(1926年)ですから、30号棟は10年も先行して建てられています。



ただ同潤会の場合、関東大震災復興のための住宅供給という
目的と同時に、耐震・防火性能に優れた鉄筋コンクリート住宅を
いかに日本人の生活にあわせて作り上げていくかという理想が
ありました。

それに対し軍艦島の場合、狭い土地にできるだけ多くの
坑夫を住まわせなければならないという必要性から、単に
住宅を上に伸ばしたものであって、けっして住環境や
生活水準の向上には結びついていなかったのが
現実のようです。



とはいえ、こんな九州の沖の小さな島に日本初の鉄筋コンクリート製
集合住宅があることが驚き。

いかに石炭が儲かったか、ということなのでしょう。


かつて同潤会フリークであり、建て替え直前の
「同潤会江戸川アパートメント(新宿区)」に実際に住もうとさえした
私としては、この30号館はぜひとも見ておきたいものでしたから、
感慨もひとしおでした。

                                (つづく)


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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100821


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カトリック幼稚園の野望。 2010年
8月6日(金)



私と兄姉の三兄弟は、同じ幼稚園に通いました。





幼稚園はカトリック。


この幼稚園、いま考えるとすごく立派な場所にありました。



福岡市近郊の片田舎とはいえ、
駅の目の前の一等地に50m四方、約700坪の土地を持ち、
天井の高い大聖堂をはじめ立派な運動場も持っていました。


この幼稚園、現在は隣町のさらに郊外に移転してしまいましたが、
跡地には現在、商業施設付きのマンションが建っているくらい
ですから、幼稚園としては破格の広さだったのでしょう。





しかし、カトリック幼稚園はなんのために存在するのか。


単にカトリック教会が収入を得るための“副業”として
やっているのでしょうか。いえ、そうではないはずです。


「天にめしますわれらが父よ…。」
記憶の中の祈りの言葉はなんか間違っている気もしますが、
純真無垢だった私たちなりに一所懸命祈っていました。

園長先生からはマリア様のお話を聞き、
クリスマス会ではキリスト生誕の物語を演じていました。
ちなみに私は「博士2」の役でしたが。


カトリック幼稚園の目的は、子どもたちにキリストの教えを伝え、
信者にするための布教活動の一環、言ってみれば一種の“野望”
だったはずです。




しかし、私たち三兄弟はキリスト教信者にはなりませんでした。

同級生のほとんども、卒園してから信者になったという話は
聞いたことがありません。



私だけ、高校時代に親の前で「キリスト教に入信する!」と
宣言したことはあります。

しかしそれはベートーヴェンやゲーテに心酔するあまり、
その作品の背景にあるキリスト教というものを知らねば
わからない一線、というものがあることに気づいたからでした。






その後すっかり熱は冷めましたが。







全国に540以上も存在するカトリック幼稚園。

それぞれの幼稚園が一学年30人だとしても、
毎年1,500人以上がキリスト教を習って卒園していく
計算になります。

しかしその卒園児のほとんどが信者になっていないのだとしたら
ある意味、キリスト教の“戦略”あまりうまくいっていない、ということ
なのでしょう。


もし日本人が「無宗教」なのだとしたら、こうした布教戦略は奏功し
瞬く間に日本はキリスト教国家になったことでしょう。韓国のように。


しかし日本はそうなりませんでした。


そこに日本人の独自の世界観、宗教観の“強さ”を感じます。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100806


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花火の特等席。 2010年
7月31日(土)




2万発を超える花火が夜空を彩る隅田川花火大会。




写真の左側、照明の横に見えるのは東京スカイツリーです。


動画はこちらに。





今回、隅田川花火大会を観たのは市民協賛席



台東リバーサイドスポーツセンターの野球場を開放するもので、
一組あたり1.8m四方、約2畳のシートの分のスペースが
分け与えられて最大5人まで観覧することができます。

この野球場、昔は地元住民だけが知っている穴場で、
早い者勝ち。

7年ほど前に仕事の関係でこの会場に来たことがありますが、
当時は2日前から徹夜で並び、好き放題にブルーシートを
敷いていくなど、まさに仁義無用の陣取り合戦でした。



それが去年から市民協賛席として“販売”されるようになり、
ひと口5,000円の有料になったものの、秩序だってゆったりと
見られるようになりました。



今年からシートが広告入りになりましたが、一組あたりの
スペースが小さくなったような気がします。去年はたしか
2m四方だったと思うのですが。


シート1枚につき5人まで、となっていますが正直、2畳に
5人はちょっときつい。食べ物や飲み物を置くスペースも
考えると、おとな3人がちょうどいい気がします。



打ち上げ開始は午後7時すぎ。



他人の頭を気にせずじっくりと花火を楽しめるのが
この席の最大のメリット。



実は今年、市民協賛席は一回目の募集で満席にならず、
二度目の追加募集をかけてようやく“完売”しました。

シートを小さくしてその分たくさん詰め込もうとしたせいでしょうか、
不況の影響なのでしょうか。




来年もまた5月から6月にかけて台東・墨田の両区や東京都の
ホームページで募集が告知されます。

団体用の20人分というのもあるようですから、来年はこれを確保して
にぎやかに観ようかと思います。






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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100731


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死刑執行と政治主導。 2010年
7月29日(木)




選挙に落ちて、ヤケクソになったか。


たいていの人がそう思ったことでしょうし、
メディアからそう非難されるのも仕方ない気がします。


青天の霹靂だった千葉景子法務大臣による死刑執行


法相である以上、刑法に最高刑として定められ、裁判所が
審理をつくして下した死刑という刑罰を執行するのは
法治国家として当然のこと。
個人の信条など入り込む余地はありません。義務です。

もし信条により死刑執行を拒むのなら、法相になっては
いけないのであり、法相になってから「死刑反対」を理由に
執行の署名をしないのなら、それはもはや税金泥棒のそしりを
免れません。

そういう意味では、千葉景子は法相としての役割を全うした、
とむしろ評価されるべきことでしょう。


しかし、です。

なぜいまの時期に執行に署名したのか。
しかもわざわざ東京拘置所での執行に立ち会ったのか。

理解できないのはこの部分です。

千葉景子は、今月11日の参議院議員選挙で落選しています。
25日に前回の任期が切れ、民間人として引き続き法務大臣を
続けることになったばかり。


落選議員がそのまま民間人として大臣を務めることに法的な
問題はありません。しかし、民意による審判で国会議員の職を
解かれた人間がそのまま国務大臣を続けていいのかという
倫理的な問題は残ります。

民主党の枝野幹事長によれば、千葉が死刑執行命令書に
署名したのは24日であり、25日の参議院議員としての任期内
であり批判は当たらないとしていますが、落選が決まったのは
11日の選挙なのですから、まったく弁明になっていません。


彼女は選挙に落ちてから署名した。

それは厳然たる事実なのです。



ではなぜ、この時期に署名をしたのか。


その背景に、「死刑廃止議連」の存在があるような気がします。

死刑の廃止を目的に、1994年に発足したこの議員連盟には、
現在の会長は亀井静香、副会長に仙石由人が名を連ねるなど
リベラルを中心に現在の与党議員が多く名を連ねています。

千葉もまたこの死刑廃止議連の一員でした。

法相に就任した千葉には、これら議連の重鎮たちから
「執行するな」という有形無形のプレッシャーがあったことでしょう。

その一方で法務官僚からは法相の義務として署名を迫られ、
死刑囚が犯してきた罪の深さや遺族の苦しみや悲しみ、そして
裁判員裁判で今後死刑が下されるにあたっての影響などを
とうとうと説かれていたに違いありません。

千葉は、死刑廃止議連と法務官僚の間で板挟みになって
苦しんでいたのではないでしょうか。

まあそれも、「大臣」の名前欲しさに、その任務の重さも考えずに
尻尾を振って飛びついたことがそもそもの原因なのですから、
同情の余地などないのですが。

ですから、千葉が選挙に敗れ、議員でなくなったことは
同時に死刑廃止議連からのプレッシャーから解放されたと
いうことなのかもしれません。
死刑廃止議連にとっては、大きなダメージとなりました。


執行直後の記者会見で、千葉は法務省内に勉強会を開き、
死刑制度の存廃を含めたあり方を検討することを明らかに
しました。

しかし以前から千葉が唱えていたこの会について、省内では
「執行をしないまま議論を始めれば廃止もありうると取られ
かねない」と否定的な声が多かったといいます。


ここからは私の憶測ですが、
彼女はたぶん、死刑執行と引き換えにする形で、勉強会の
設置を法務官僚に認めさせたのではないでしょうか。


千葉にしてみれば、とにかく死刑廃止への議論の道筋はつけたと。


とはいえ、みずからの手で死刑執行に署名した人間が
これからいくら「死刑廃止」を叫んでみたところで、誰が
聞く耳を持つと言うのでしょうか。


今回の“事件”は、「政治主導」を掲げた民主党政権が、
またひとつ官僚の手に落ちた、というロジックで考えるべき
かもしれません。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100729


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EXILE、お譲りします。 2010年
7月28日(水)




これ、お譲りします。




来月6日(金)の EXILE コンサートのチケット。

日産スタジアム(横浜国際総合競技場・新横浜)で18:00から開催されるぶんです。



あるひとに頼まれて取ったのですが、予約がダブったとかで
不必要になってしまいました。

ごらんの通り、2階の28列の200番台と、そんなに良い席ではありません。


そこで、お譲りすることにしました。


代金はいりません。

しかし無料というのも悲しいので、物々交換をしましょう。



ご希望のかたは、minmin@totteoki.jp にメールをください。

その際、どんなモノ(サービスなども可・例:「ごはん奢る」「肩たたき券」など)
交換するかを明記してください。
連絡先なども同時にお知らせください。


いただいたメールのなかから、いちばん楽しい提案をしてくださった方に
お譲りいたします。金額にして高いほうがいい、というわけではありません。


また、応募してくださった方からどんな提案があったかを
後日ここで報告させていただきますので、応募される際には
その点についてもあらかじめご了承ください。
(もちろん個人情報がわかるようにはしません)


楽しい提案をお待ちいたしております。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100728


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スカイツリーパフェ。 2010年
7月26日(月)




現在のところ、最強のあやかり商品でしょうか。
東京スカイツリーの。




スカイツリーパフェ 1,800円です。

高さは本物の1000分の1の63.4cm(公称)。





幼稚園児に並んでもらうと、その巨大さが実感できます。


40㎝はあろうかというガラス容器に、ナタデココやパイナップル、
ブルーベリームースなどが層をなして詰め込まれ、容器の縁には
メロンがぐるりと取り巻き、展望台を形成しています。
そこからさらに天を目指してソフトクリームが突き刺され、
それを飴細工でできた塔が覆う構造。



飴細工をはずしてみたところ。

あやかり商品ながら、ばかばかしいまでに手間がかかった一品です。


このスカイツリーパフェがあるのは、さくらCafe向島



スカイツリーを目の前に見られる場所にある、小さなカフェです。



店の前から見た東京スカイツリーは、こんな感じ。

レンズが広角じゃないともう収まりきれません。



業平橋駅のホームから見るスカイツリーが、
いちばん近くから見えてお勧めでしょうか。




今月中にも400mを突破するそうですから、
また大騒ぎが始まりそうですね。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100726


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米粒からパン。 2010年
7月24日(土)




発売はまだ3か月も先だというのに、えらい気合の入りようです。




上の写真のパン。

串が刺さっている方が「コシヒカリ」、刺さってない方は「はえぬき」。

つまりこれ、コメでできたパンなんです。


コシヒカリはもちもちっとしていてふにゃっとした歯ごたえに対し、
はえぬきはさくさく、カリカリッとした歯触り。

炊飯してごはんとして食べるよりも、品種の違いを大きく感じるのには
驚きました。いろいろ替えて味の違いを楽しめるなんて、
コメ好きの私にはけっこう楽しみです。


これは、三洋電機が今月発表したホームベーカリーの新製品
「GOPAN」で作ったもの。




これまでにも米の粉でパンを作れるベーカリーはありましたが、
この「GOPAN」はなんと、米粒からそのままパンを焼けます。

米粒を粉砕するのではなく、水に浸してペースト状にしてからこねるため、
スーパーや米屋から買ったお米をそのままパンにできるという画期的な
製品です。


で、三洋はこの製品に並々ならぬ自信と期待があるのでしょう。

発売は10月だというのに、発表早々の今月21日から
表参道のカフェで試食キャンペーンを始めてしまいました。



場所は表参道のカフェ「ZipZap」

明治通りから一本入った、穏田(おんでん)と呼ばれる地区にあります。




試食キャンペーンといっても、タダでみんなにふるまうわけではなく、
ZipZapの正規のメニューをちゃんと注文した人に、おまけとして
小皿をふるまうというもの。


出てくるのはパン二切れと、肉じゃがと海苔の佃煮。
それぞれトッピングして味の相性を試してください、とのことです。



(あれ?三洋のホームページの写真を見ると前日にはパンはもう二切れあったようですが…。)


小皿にはアンケートが添えられ、どちらとの相性が良かったかが
まず聞かれ、そのほか男女・年代、どうやって「GOPAN」を知ったか、
そして最後にこの製品にどの程度興味があるかを聞かれます。



しかし、コメでできたパンとは言え、肉じゃがと海苔の佃煮の
どちらとの相性がよかったかなんて質問に何の意味があるのか
わかりません。


パンという形になった以上、合うのは洋食であって、
みんなそういうスタイルで食べるはず。

コメでできてるからといってわざわざ納豆や辛子明太子を乗せて
食べる人間がいるというのでしょうか。


なんかアンケートの方向が間違っている気がします。





とはいえ、これまでにない画期的な製品に、ごはん好きの私も
かなり心を揺さぶられ、すぐにでも手に入れてコメのパンを焼いてみたい
気になってしまいました。


楽しみです。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100724


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いよいよ400mへ。 2010年
7月20日(火)




いよいよ伸びてきました、東京スカイツリー。




渋谷から見える姿も、徐々に変わってきています。






上の写真は、今年2月初めのもの。


それがきょう(7月20日)、同じ場所から撮ると…。




ずいぶん伸びたものです。



横に並べて比べてみると、歴然。




久しぶりに“日本人が楽しみにするもの”となった、東京スカイツリー。


今月中には、高さ400メートルに到達するそうです。


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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100720


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元手は宝くじ。 2010年
7月19日(月)




先日、宝くじに4回も当選して賞金が19億円にものぼる女性が
米国テキサス州にいる、という記事が出ていました。


世界で最も幸運な女性? 宝くじ、当選4回で計19億円
                           (asahi.com 2010年7月14日)


しかもこの63歳の女性は賞金を教会などに車や住宅を寄付し、
自身はひっそりと暮らしているとのこと。
そういうひとだからこそ神は、次々と幸運を授けるのでしょうか。


ただこの記事、文章に間違いがあります。

「ある数学者は、1億円以上の大当たりを4回も出す確率は
18シ(1シは10の24乗)分の1になると試算している 」と
あるのですが、この“シ”という単位は存在しません。

日本の「無量大数」を頂点とする呼称では10の24乗は「(じょ)」。
英語でも「Y(ヨタ)」で似た言葉はありませんから、たぶん
に似た漢字「秄」「秭」(ともに“シ”と読む)あたりと勘違いしたの
でしょう。

大新聞の記者がちょっとみっともない。
教育テレビの「にほんごであそぼ」でも見て勉強しなさい、ですね。




しかし、昔からずっと不思議に思っていることがあります。


宝くじなどの賞金を元手に商売を始めて成功した、という人に
ついぞお目にかかったことがありません。

1億とか3億とかの大金があれば、たいていの事業は興せます。

なのに現在なにがしかの事業で成功しているひとのなかで、
「宝くじが当たったから始めた」と語る人を一度も見たことがないのです。
これだけメディアが発達した現代においても。


なぜなのでしょうか。


賞金なんか遊んで暮らして使い果たすから?

「宝くじが元手」だなんて恥ずかしくて言えないから?

それともやはり苦労せずに手にしたカネで商売しても
うまくいかないから?


泡銭は身につかない、と言いますが
ぜひとも知りたい謎です。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100719


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蛇口。 2010年
7月18日(日)




最近、「蛇口」がはやりのようです。


高松空港(高松市)の空港ビルに13日、讃岐うどんのだし汁が
出る蛇口が設けられた。香川県特産のいりこを使った温かい汁で、
無料で味わえる。

(asahi.com 2010年 7月13日)

このほか…。

蛇口からみかんのジュースが出るという噂(うわさ)を実現――。
空港利用客に愛媛らしさをPRしようと、松山空港に5日、みかん
ジュースが流れる蛇口が設置され、帰省客らに無料で振る舞われた。

(asahi.com 2008年1月6日)



各都道府県に「蛇口」があったら、どんなものが出てくるのでしょうか。



広島「お好みソースの出る蛇口」
お好み焼きだけでなくあらゆる料理に使われ、“ベタ甘大好き”な
広島県民の味覚を決定づけているオタフクのお好みソース。
トンカツだろうが魚のフライだろうがカレーだろうがどんな料理にも
必要ですから、蛇口から出たらまさに便利この上ないことでしょう。



大阪「淀川の水がそのまま出てくる蛇口」
滋賀や京都の下水処理水が流れ込む淀川の水を水源とする大阪。
学生時代、大阪駅の立ち食いそば屋で飲んだ水は、そのあまりの
泥臭さに吹き出しそうになりました。淀川の水がそのまま出てくる
蛇口があれば、いつでも水道水と“飲み比べ”ができて便利です。



東京「もんじゃが出てくる蛇口」
お好み焼きよりも薄く、他県民からはまるでゲ○だと酷評される
もんじゃ焼き。以前は駄菓子屋で食べる日陰メニューだったのが
いまや月島をはじめ下町B級グルメの巨星になってしまいました。
蛇口直結のホースで鉄板に流し込めば、手間が省けて大助かりです。



そのほか「こんなものを蛇口から出たらいいな」というご要望が
ありましたら掲示板かコメント欄にどうぞ。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100718


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心霊写真はどこに。 2010年
7月14日(水)






ここのところずっと不思議に思っていることは、
最近「心霊写真」というものをとんと見なくなったこと。



デジタルカメラが普及し、携帯のカメラが当たり前になったいま、
世の中で撮影される写真の数は膨大なものになっています。


もし、心霊写真が一定の割合で“写ってしまう”ものだとするならば、
心霊写真は、世の中で撮影される写真に比例して
莫大な数が出現してもいいはずです。




しかし、現実には心霊写真を見る機会はほとんどなくなってしまいました。


毎年、夏になるとあちこちで放送されてた心霊写真特番も
ここ数年、見たことがありません。



霊というものは、フィルムや印画紙にしか写らないものなのでしょうか。


それとも「時代の変化」が、“捏造”を許さなくなったのでしょうか。





なぜ心霊写真がなくなったのか、その理由を知りたい気がします。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100714


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みっともない党。 2010年
7月11日(日)




今回の参院選で、いちばんみっともなかった政党は、
日本創新党でしょう。






なにしろ、女性党並みにしか票が獲れなかったのですから。

(午前2:45現在で日本創新党 236,561票 女性党 241,973票 ともに得票率0.7%)



この日本創新党、候補を見てみると、
「開国博 Y150」大赤字の責任逃れで横浜市長を投げ出した中田宏や
衆院議員1期で落選後、杉並区長になったものの今回の選挙への
出馬でやはり投げ出した山田宏など、松下政経塾出身・日本新党
経験者のそうそうたる甘ちゃんぞろいなのです。


賢明なる日本の有権者の、冷徹な冷徹な審判でしょうか。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100711b


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来場所もこれで。 2010年
7月11日(日)




きょうから始まった大相撲名古屋場所。


NHKが史上初めて中継をやめ、代わりに夕方6時台に
ダイジェストを放送することになりましたが、かえって中継よりも
視聴率が高くなり、相撲人気の回復に少し寄与するのでは
ないかと思います。



そもそも、午後3時から夕方6時までの生中継を見られる人なんて
まともな社会人にはそういません。


でも、地方の公務員やサラリーマンなら夕方6時前の帰宅は
そう珍しくないですから、彼らにとっては「いい時間」になりますし、
しかも取組と取組との間を延々と待たずに済むのですから
かえって喜ばれることになるでしょう。


もしかしたら「来場所もこれで」なんて要望が出るかもしれません。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100711a


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菅直人の誤算。 2010年
7月11日(日)




いま考えてみると、菅直人にとっての“誤算”の始まりは
今年(2010年)1月に財務大臣になったことでした。


有名になって政治家になりたい、いつかは総理大臣になりたい。
ただそれだけを人生の目標にしてきた「私欲の塊」(仙石由人談)
菅直人。

他者を舌鋒鋭く追及する姿勢こそ天下一品ではありますが、
経済政策についてはほとんど音痴とさえ言われるほどの門外漢。
藤井裕久の突然の辞任によって転がり込んできた財務大臣の椅子は
菅にとって魅力的ではありましたが、同時に大きな困難に
直面することになります。


国会で子ども手当の「乗数効果」を質問され、その意味がわからず
立ち往生した菅は、財務官僚に出してもらったメモでやっと答える始末。
G7(先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)も財務官僚の助けでどうにか
乗り切りますが、これ以降菅はそれまで苛烈を極めた官僚批判を弱め、
むしろ官僚に依存するようになっていきました。

財務官僚にとってみればこの時期、菅に現在の国家財政の危機的
状況を説き、将来的に大幅な消費税率引き上げが必要であると
“洗脳”することはそれこそ赤子の手をひねるぐらい簡単だったはずです。


そして6月、鳩山が小沢を道連れに“自爆テロ”で退陣。

棚ぼた式に総理の座を手に入れた菅は、就任直後に支持率が
“V字回復”したことでこのまま参議院選挙も楽勝だと踏んだのでしょう。
突如として「消費税10%」を持ち出してきます。

それは単に、「現実主義で責任ある姿勢」を演出したいだけのこと。
自らを偉大な総理として歴史に名を残す以外に理由はなかったのかも
しれません。

10%の根拠を問われても「自民党が10%を掲げているから」としか
説明できず、選挙戦に突入してから「300万円以下の所得層には還付」
などと発言。現在の消費税5%分までも還付するかのような発言は、
かえって経済音痴を露呈させ、信頼を失わせていきました。



他人の批判はできても、実は自分では何もできないという人種がいます。

長妻昭はその代表でしょう。

“ミスター年金”と言われながら、いざ厚生労働大臣になってからは
なにひとつ成果をあげられずに埋没してしまっています。


そして菅直人もまた、同じ人種であることが明らかになりつつあります。


「どっちも同じことを言うなら、経験のあるほう」。


メディアに掲載されたひとりの有権者の声が、今回の選挙を象徴しています。




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四つ葉のさらに上。 2010年
7月10日(土)




以前買った「四つ葉のクローバー」。





日が経つにつれて、四つ葉の割合が減ってきたような…。



気のせいでしょうか。

それとも最初からそういうもので、だまされたのでしょうか。



目を凝らして見ていると…。




なんと五つ葉のものが生えてきていました。




一本の茎からしっかりと5枚の葉が出ています。




これって、どういうメッセージなのでしょうか。


もっともっと幸せになれるって?



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副都心線の真実(2)。 2010年
7月8日(木)




副都心線は奇怪な路線です。


まずは下の写真を見てください。





この写真、2008年8月に撮ったものですが、
車両に書かれた号車番号(左上)と、ホームドアに書かれた
号車番号(右下)が一致しません。

「@号車」という表示が全然合ってないのです。



同じ年の10月に撮影された下の写真も同じ。





渋谷行きのこの普通列車、最後尾の車両には「8号車」の表示。


ところがこの駅のホームドアには池袋側から1、2、3と順番に
号車表示がつけられています。


つまり、列車とホームで前後逆の順番で番号が振られているのです。


しかし、ホームドアの表示は「この場所は何号車が来るか」というもの
ですから、全然合わないのではまったく意味がありません。



副都心線が開業したのは2008年6月。


開業当初からこの逆の表示が気になっていた私は、ある日
駅のホームに立っていたメトロの社員らしき男性に尋ねてみました。


「なぜホームドアと実際の車両の番号が違うんですか?」



すると彼は、こう答えました。




「あれは、西武と東武の車両だと表示が合うんです。」




はぁ?


まったくの想定外の答えに、私はそれ以上何も聞けませんでした。



たしかに副都心線に相互乗り入れしている東武東上線と
西武池袋線の車両だと、開業当初から号車表示が揃っています。



しかし、自社の車両では号車表示が逆で、他社の車両だと正しい
というのはまったくのナンセンス。意味不明です。



「東京メトロって、少し頭がおかしい会社なんじゃないでしょうか。」


私がこう、あるSNSの副都心線トピックス(掲示板)に書き込んだのが
2008年9月。




そしたら約1年後の09年8月のこと。





いつのまにか号車表示が揃っていることに気づきました。
しかも全車両きちんと変更されています。


ご苦労なことに、列車のほうの号車表示を全部貼り替えたのです。
もちろん内部も含めて。


私の書き込みを見て意地でやったわけでもないでしょうが、
それにしても一斉に全車両の号車表示を貼り替えるなんて…。




やっぱり、少し頭がおかしい会社なのかもしれません。



東京メトロって。





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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100708


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龍馬とアマデウス。 2010年
7月5日(月)




「龍馬伝」を見ていて気づきました。





この物語が、映画「アマデウス」と酷似していることに。


つまり、坂本龍馬はモーツァルト。

そして、岩崎弥太郎はサリエリ。




偉大な業績を残しながら若くしてこの世を去った天才と、
生き残って現世での成功を勝ち取った凡人の物語。


しかも物語の「語り部」が凡人のほう、というのもまったく同じ。

天才が、ありあまる才能と自由奔放な行動によって
数々の業績を軽々と成し遂げていくのに対し、
凡人は、天才を前におのれの小ささを嫌というほど
知らされ、なぜ神はこの男を選んだのかと妬み続ける。

生き残った凡人が、いまはなき天才の物語を
妬みや敗北の苦しみとともに語っていくという構図もまた
あまりにも似すぎています。



「龍馬伝」はこれからも龍馬と弥太郎のふたりを軸に展開し、
龍馬の早すぎる死の真相へとなだれ込んでいくのでしょう。



しかし、大河ドラマともあろうものが、20年以上も前の
映画の構図をそのまま拝借して演出しているのだとしたら、
それはけっこう恥ずかしいものがありますけどね。



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ITが隠す差別。 2010年
7月4日(日)






もうだいぶ前の話になってしまいますが、就職活動中の
大学生数人に寄り添い、じっくりと話を聞く機会がありました。


私たちの時代の就職活動といえば、日経やリクルートなどから
送られてくる百科事典ほどの厚さの企業情報についてくる
ハガキに記入して送るか、企業に直接電話してアポイント
メントを取るといった方法が主流でしたが、いまの就職活動は
ネット経由のエントリーシート方式がほとんど。

自宅でも学校でもなんなら外でも気軽に申し込みができ、
その内容はコピー&ペーストも可能ということで、ハガキ
時代とは比べ物にならないほどたくさんの企業に応募できる
ようになりました。

しかしそのぶん、一社一社を研究できる時間は減り、一方で
学生が不採用になる数も比べ物にならないほど多くなったの
ですが。


このエントリーシート方式のメリットは、説明会などの予約も
ネットの画面でできること。

画面に表示される日程表の「空席あり」のなかから、学生が
自分の都合に合わせて予約を入れる方式。
ネットを通じての先着順。ですから「チケットぴあ」のような
公平・公正なシステムのように思いがちなのですが、実際には
ITならではの巧妙な仕掛けがありました。


東大生の男の子に聞いた話です。

あるとき、東大生の彼がある人気企業の説明会を予約しようと
すると、どの日のどの時間も「空席あり」が表示されました。

そこで隣にいた法政大学の友人に「一緒に行こう」と誘うと
その彼の申し込み画面ではどの日のどの時間も「満席」
映し出されてしまうのです。

つまり、この企業は説明会に出身校ごとの「枠」を設定し、
受け付ける瞬間にもうふるいにかけていた、ということ。

「あのときはびっくりしたと同時に気まずかったですね。
 まさかこんな仕掛けが隠されているとは。」
と東大生。

結局、法政の子は説明会にも参加できないままその企業を
諦めざるを得なかったそうです。



私は学歴を完全に否定する者ではありません。
少なくとも「努力」をみる尺度としてはある程度有効な手段の
ひとつだと思っています。

しかし、企業説明会に出席できるかどうかまでを出身校で
露骨に選別するのはいかがなものか。


たしかにエントリーシート方式になって学生がひとり何十社も
申し込みできるようになったことで、人気企業にとっては
それだけ応募者数が増え、負担が増したことは事実でしょう。

しかし、ITによって表からは隠されるようになり、そのおかげで
露骨な学歴差別が助長されているというのなら、許すわけには
いかないと思うのです。

それを許せば、次はまたITの名のもとに新たな差別が
生み出されるはずですから。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100704a


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日本守護。 2010年
7月4日(日)




高校の同窓会(東京支部総会)に行ってきました。




上の写真は、スクリーンに映し出された
我が母校の校歌。


漢字ばかりでわけわかりませんが、
思い出の夢は遠し 民族の歴史担いて 日本をいざ守らん
と歌います。


この校歌を一度甲子園で流して、全国の視聴者を驚かせたい
多くの同窓生が思っているのですが、残念ながら昔から野球部は
弱くてその夢はかないません。

しかし「民族歴史荷 日本守護」だなんて、いま考えてもなかなか
すごい歌詞です。サヨク連中が聞いたら目を剥いて怒りだしそうですね。



全体会のあと、同期での二次会があり、わいわいと楽しく飲んだのですが
参加者のなかに航空自衛隊で 1等空佐になっているのがいました。

1等空佐といえば、ほかの軍隊でいえば「大佐」に相当する大幹部。
その「大佐」が同級生にいるとは…。


彼はまさに「日本守護」の道をそのまま歩んでいるわけです。


高校時代は直接のつながりがなかった男ですが、すごく気さくで
「市ヶ谷(防衛省本省)に来たら案内してあげるよ」と言ってくれました。
こんど押しかけようと思います。



で、私のほうといえば、同じ二次会で
あまり見覚えのない男からこう言われました。


「お前は当時から評論家みたいな物言いをしていたよなぁ。」


…すごいショック。


そりゃあたしかに2年のとき、クラスメートの前で教壇に立ち、
シーレーン防衛の必要性を説いて喝采を浴びた覚えはあります。


しかしそれにしてもそんなに接点がなかったはずの男から
「評論家みたい」と言われるなんて…。


「三つ子の魂百まで」と言いますが、私は高校時代から
なんにも変わってない、ということなのかもしれません。




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オシムの目。 2010年
7月3日(土)




7月1日の新聞に掲載された
「オシムの目」というコラム。





「PK戦はサッカーではない」

「日本は延長に入る前に決着をつけるべきだった」

「“勝ちたい”という気持ちを“負けたくない”
 という気持ちが上回ったのだろう」

「中村憲の投入は遅く、彼がパスを出しても
 走る体力が残っている選手は少なかった」


前日の6月30日に私がここに書いた内容(ブログでの補足を含む)
多くの共通点がありました。

まるで、自分のサッカーを見る目を
オシムに認められたような感じで、とてもうれしくなりました。


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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100703


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たった1年で壊れた。 2010年
7月2日(金)



たった1年あまりで壊れました。



富士フイルムのデジタルスチルカメラ「FinePix F200EXR」。




けっこう気に入っていて、皆既日食もこれで撮ったりしていたのですが
先日、突然映らなくなり、画面には上の写真のように乱れた映像が。

以前もちょっとしたことで壊れ、一回修理しているのですが
保証期間内だというのにこっちのせいにさせられ有料修理になるなど
窓口の対応が非常に悪かったので、今回はもう買い替えることに。

もうフジフイルムなんか絶対に買いません。


私がカメラを選ぶ際、絶対に譲れない基準は、

△感度が高いこと。
△広角であること。
△起動が速いこと。
△小さく、軽いこと。

「渋谷とっておき!!」という個人の食べ歩きサイトをやっていて、
いちばん心がけているのは店に迷惑をかけずに写真を撮ること。

飲食店内というのはけっこう暗く、しかも目の前の料理とは
距離がありません。手ブレをなるだけ起こさずさりげなく撮るには
上の4条件は譲れないのです。

よく「しゃりーん」とかシャッター音鳴らして携帯で撮ってる女とか
フラッシュたいて撮ってる奴がいますが、そんなのは「私、ブログ
やってるんです」って言いふらしてるようなもの。傍から見てると
こっちが恥ずかしくなってしまいます。

また、一眼レフで食べ歩きを撮っていた男を知っていますが、
そこまでくるともう単なる阿呆です。



私にとって、理想のカメラはソニーのDSC-T9。



2005年発売で、スライド式のふたと折り曲げ構造のカールツァイスレンズが特徴で、
手のなかにすっぽりと収まるカセットテープ並みの小ささと、それでいてずしっと
重さを感じる金属の質感の高さがとても気に入っていました。

2台を所有し、常にひとつをポケットに入れてハードにこき使ってきました。
落っことしたこともたくさんありますが、一回たりとも壊れたことがありません。

もちろん画質や手ブレ補正はいまとなっては見劣りしますが、私にとって
コンパクトカメラのバイブルのような存在でした。

しかしその後、このTシリーズは大型化し、さらに操作がタッチパネルとなって
非常に使いにくくなってしまったのが残念ですが。



そして今回選んだのは、ソニーのDSC-HX5V。



フジのF200EXRよりさらに少し厚みがあって、暗いと自動で赤い光が出て
測光するのが不満ではあるのですが、裏面照射型CMOSセンサーの感度が高く、
しかもフジのようなざらついた画質にならないことが決め手になりました。

さらに、カメラを左右・上下に振るだけで作れるパノラマ撮影が面白いのです。
下の写真は後楽園ホール。クリックしてみてください。


クリックすると全画面でウィンドウが開きます


その上、1080i のフルハイビジョン動画が撮れて、しかもそれがいわゆる
“おまけ”のレベルを超えた画質である、というのも大きなポイント。


また、このカメラはGPSを内蔵し、写真がどこで撮られたのかを
記録してくれるのも、あっちこっちさまよって撮り、あとで
「これどこの写真だっけ」と思うことの多い私としては助かります。

ただ…。



これはソニー以外のメーカーのウェブサイトの情報なのですが、
中国ではGPSに対する妨害電波が出ている様子。

しかも別のサイトでの話では、中国では軍事機密を守る目的から
外国人がGPSを使うことは禁止されていて、過去このことを
知らずに使った日本人が拘束され、機器を没収されたとの話も。



中国には近づかないようにしないといけませんね。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100702


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ありがとう。しかし。 2010年
6月30日(水)




「私の執着心と執念が足りなかったからだと思う」


記者会見でこう繰り返した岡田監督。


たしかに今回のパラグアイ戦での敗因の大部分は
彼の采配にあったような気がします。


あまりにも守備的になりすぎた試合展開。

膠着した状況のなかで、延長戦に入った場合の
選手の体力の消耗を考えてしまったばかりに、
攻撃的な布陣への転換が遅れてしまいました。


ひとつひとつのプレーに関わっていける野球と違い、
サッカーでは監督の采配が占めるウェイトは大きくありません。

笛が鳴ってしまったら、あとは選手に任せるしかない。
サッカーの監督にとって選手交代は、ほとんど唯一の采配であり、
選手に伝えることができる最大のメッセージなのです。


“ここからは攻撃の時間だ”

中村憲剛、岡崎はともかくとして、玉田の投入がよかったのか
どうかはそのプレー内容からして大きな疑問が残りますが、
とにかく選手交代のタイミングが遅きに失したことは事実。

その結果、90分で終われず、120分でも終われず、
PK戦になってしまったことが最大の敗因となってしまいました。

PK戦には、選手の実力など関係ありません。戦略もありません。

ただ右に行くか左に行くかの駆け引きと偶然と運だけが
勝負を左右する、本来のサッカーとはかけ離れた世界。


結果、駒野ひとりに十字架を背負わせることになって
しまいました。あまりにも残酷です。


90分で決められなかったこと、120分でも決められなかったこと。

それは岡田監督の心の“弱さ”ゆえのものでした。


よくやってくれた。ありがとう。
いまは岡田監督にも選手たちにもそう心から言いたい。



しかし、岡田監督の続投だけはごめんです。



                                         (敬称略)



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チャーリー、世界へ。 2010年
6月30日(水)






1ラウンドでダウンしたときは、ダメかと思いました。





ここで応援している、
“先生は僕らのチャンピオン”チャーリー太田選手の
東洋太平洋スーパーウェルター級王座の初防衛戦。




挑戦者キング・デビッドソンは五輪代表になっただけあって
あまりにも巧く、1ラウンドから着実に当ててきた上で
いきなりの攻勢。



たまらずチャーリーが尻をついてしまい、ダウンを
取られてしまいます。



しかし「3ラウンドあたりまではリラックスしてなかったが、
相手はもっとリラックスしてなかったのがわかった」という
チャーリー。


徐々に相手の力量を見切っていきます。




「相手には自分にダメージを与えるパンチ力はない」と
確信したあとは、積極的に前に出て左で顔面やボディーを
確実にヒット。


打たれ強い相手でなかなかダウンを奪えず
12ラウンド終了で判定になりましたが、
2-1の判定でデビッドソンの挑戦を退け、初防衛に成功しました。




周囲の心配をよそに、チャーリーは試合中も相手と自分を
冷静に分析していたようです。




しかしデビッドソン選手も巧かった。


彼はほかにアフリカやオセアニアなどの地域タイトルを
持っているため、WBA世界ランク13位にランキングされていました。

このデビッドソンを破ったことで、チャーリーは世界13位以上に
ランキングされることが確実になり、世界王座への扉が開かれる
ことになりました。




英会話教師として、普段は子どもたちに愛される存在でもある
チャーリー太田選手。

「がんばればできるんだよ」というメッセージを
子どもたちに残しました。


これからもますますチャーリー太田選手を応援していこうと
思います。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100630


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コインランドリーのなかに。 2010年
6月29日(火)



西新宿で見つけました。



コインランドリーの店です。
奥にはコイン式のシャワールームもあります。


ところがもうひとつ、驚くべきものがこのなかに…。





なんと、カレーの店がコインランドリーの中に。





見つけたのが朝だったので、営業していませんでしたが、
中をのぞいてみると…。





ちゃんと厨房の設備があり、カウンターも見えます。


コインランドリーで待っている客を狙ったのでしょうか。



しかし、コインランドリーのなかでカレーを作ったら
洗濯物にカレーの匂いが移ってしまうのでは…。


はたして営業しているのかどうか。




謎のカレー店。

だれか探検してみてください。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100629a


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副都心線の真実。 2010年
6月29日(火)




東京メトロ副都心線には、開業当初からATO(自動列車運転装置)という
システムが導入されています。




自動列車運転装置の名の通り、これまで一本一本の列車を
運転士が操作していたのを大幅に自動化したもの。

運転のほとんどをコンピューターが行い、センターで
集中管理することで正確で安全な運行ができるというものです。

これにより運転士の負担が軽減され、ホームドアの導入とともに
車掌の業務を兼務できるようになりワンマン運転も可能になりました。


ATOが装備された列車の運転席には、下の写真のような
「ATO出発」ボタンがあり、このふたつを同時に押すことで
列車が出発するようになっているとのこと。



しかし実際、ATOを使った運転とはどのようなものなのか、
なかなか見ることができませんでした。


そこで撮ってきました、副都心線の運転の様子を。




驚きました。


運転士はボタンを押すだけでなにもすることはなく
そのまま出発。

マスコン(運転レバー)にはただ手を添えるだけ。
ときどき離してもいます。

止まるときも同様。
列車は定位置に自動でピタッと止まります。

運転士は運転中、ほとんどなにもすることがないのです。


こりゃあ、「運転士が車掌の業務をする」のではなくて、
「車掌が運転席に乗っているようなもの」です。

まるで「お○○の電車」のようです。


話によると、ATOばっかりでは運転士の技能が落ちるため
ときどき手動での運転も行っているとのことですが、
どうやらその“練習場”となっているのは東新宿駅。

というのも、いまだに東新宿駅では停車してもドアが開かず、
「停止位置を修正いたします」とのアナウンスのあと
ガックン、と動く “停止位置修正” が頻発していますからね。


自動化がはたしてサービス向上に役立っているのか
ちょっと微妙な気がします。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100629


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神様仏様岡田様。 2010年
6月27日(日)



だからスポーツ紙は嫌いです。




なにが「神様 仏様 岡田様」だ。


ついこないだまで岡田監督をクソミソに書いていたくせに、
手のひらを返したように「神様仏様岡田様」と書くなんて、
いくらなんでも節操がなさすぎます。

自分たちがもしスポーツ・ジャーナリズムの担い手だと思うなら、
つまりプロとしてサッカーを見る目があると言うのなら、ここまで
豹変する前に、ひとこと謝罪があってしかるべきです。


仕事でこの世界に少し関わった経験から言いますが、
そもそも日本のスポーツジャーナリズム、とりわけスポーツ紙の
記者のレベルは低すぎます。


単に煽るだけで中身の薄い文章。そしてどの記事も同じ構成。
ちょっと選手の談話をとって適当に貼り付け、残りは記者の
勝手な思い込みで塗り込められた駄文の羅列。

こんなスポーツ新聞を読むくらいなら、日経の武智幸徳記者の
記事を読んだほうがよっぽどサッカーというものがわかりますし、
ハイビジョンが当たり前のこの時代、中継される試合そのものを
目を凝らしてみる方がよっぽど得られる情報量が多いのです。


単に試合をたくさん見ていればスポーツ・ジャーナリストに
なれるわけではありません。
それは、いくら映画を見ていても映画監督になれないのと同じ。

見る目とセンスがない人間がどんなにたくさん見たとしても
それを理解し、分析し、どこが“ドラマ”なのかを正確にアウトプット
できなければそれは“猫に小判”と同じ。


これ以上、惰性と迎合で駄文を連ねないでいただきたいものです。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100627


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ビール一杯サービス。 2010年
6月26日(土)





「日本代表が勝てばビール一杯サービス」の店に行ってきました。




席に着いて注文するなり、女性スタッフがビールを。

「きょうはサービスになっていますので」。



ちゃんとしたジョッキになみなみと。

すばらしい。本田圭佑のように有言実行です。

しかし、全員にこんなにふるまってほんとに大丈夫か、って感じもします。



続いて出てきたラーメン。



まったくの博多ラーメンです。海苔が付いていること以外は。

スープはけっこうとろとろっとてした感じで濃厚。

ほかに醤油などが入っているわけではない、
純粋な昔ながらのとんこつスープです。
福岡でいうと「大砲ラーメン」と似た雰囲気でしょうか。




麺もかためにゆでられていて、芯が残っている感じ。
いわゆる「バリかた」「針金」を連想させるゆで方です。

とんこつに様々なバリエーションが生まれ、煮干しなどと
合わせることが普通に行われるようになったいま、
懐かしい感じのするラーメンです。


ところが、ここで客は混乱してしまいます。

この店は「福山ラーメン」「福山名物 高菜ラーメン」を名乗る店。
広島県の東部、福山のラーメンだと言うのです。

しかしいま食べているのは、まごうことなき博多ラーメン。
これが福山ラーメンと称するのはこれいかに、と。


たしかにこの店は福山で成功し、東京に進出してきたのでしょうから
ルーツが福山であることを強調したいのでしょう。

しかしそのせいでアイデンティティの混乱が生じてしまっています。

実際、福山市内で多くの店が出すラーメンは
尾道ラーメンと同じ醤油味のラーメンです。
尾道市と福山市は隣接しているのですからある意味当然です。


ここは東京でもラーメン激戦区である西早稲田。
全国各地のすべてのラーメンが味わえると言っていいこの場所で
「福山ラーメン」を名乗ることは客に混乱を与え、不信感を招くだけで
プラスにはならないと思います。

あえて福山を表に出さず、純粋にとんこつラーメンとして勝負すれば
勝機はある気がしますが。



帰り際、振り向いてみると店のドアに一枚の張り紙が。



また勝ったらサービスをするようです。


しかし今回はビールではなく…。



ラーメン一杯400円に値下げ。

たしかにあんなにビールを振る舞うのでは大変だったでしょう。


頑張ってほしいものです。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2010sm.htm#20100626


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