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コントロールできているか。 2013年
9月14日(土)



東京への五輪招致がかかったIOC総会で、安倍首相が
「福島第1原発はコントロールされている」と主張したことに対し、
躍起になって「コントロールできてないじゃないか」と
まだ叫んでいる人々がいます。


しかしこのことについては、原子力規制員会の田中俊一委員長も
安倍首相とほぼ同じ見解を11日の記者会見で述べていました。

以下がその内容です。


皆さんはすぐに100%コントロールでなければ、コントロールでは
ないと思っているかもしれないけれども、世の中そんなに
コントロールできることはなくて、どの程度コントロールできるか。
しかも、今の1F(東京電力福島第一原子力発電所)の状況は、
心配しなければいけないような状況ではないということは、
私もそう思っています。
今、海の汚染はほとんど港、安倍総理でいうと0.3km2の外では、
ノンディフェクタブルな状況に近いですから、言葉の端々を
あげつらっても何の意味もないのです。


これは、テレビ朝日の記者からの質問に対する回答でした。

明らかに、テレビ朝日をはじめとする一部マスコミに対しての
苦言となっています。


現在の福島第一原子力発電所の状態を
「コントロールできている」と言うか、それとも
「コントロールできていない」と言うか。

それは、ちょうど半分の水が入ったコップを見て、
「半分【も】水が入っている」と言うか、
「半分【しか】水が入ってない」と言うかに似ています。

それは主観の問題でしかないのですが、しかし
どう言おうと現実は変わらないし、真実はひとつしか
ないのです。


さらに食い下がるテレビ朝日の記者に対して、
田中委員長はこう続けています。

私が申し上げたいのは、どちらかというと、そういうことで言うことに
よって、福島県の漁民の人も、周りの人も、みんな不安になって、
復興や復帰への意欲が余計そがれてしまうのです。
私はそちらの方が心配なのです。
私の気持ちとしては、それを申し上げておきます。
メディアの影響は、被害者である福島の人たちに対して、もっと
心を寄せてほしいというのは、私の率直な気持ちであります。

私が常々申し上げているのは、言葉尻をつかまえることよりも、
本当にリスクがあるのか、ないのかとか、そのことがどういうリスク
なのか、重大なのかどうか、どうしたら克服できるのかとか、
もっと前向きに捉えてほしいということなんです。後ろ向きに
議論をしていても、今の福島の事態は乗り切れないんです。
そのことをもっと真剣に考えてほしいと思います。

全てが一緒くたの議論で、他人事みたいな批判をすること、
言葉尻をつかまえて批判することがメディアの役割だと思ったら、
違うのではないかというのが、私個人の考えです。



日本の原子力規制について全責任を持つ専門家が
ここまで言ってるにも関わらず、それでもなお
「コントロールできてないじゃないか」といまもなお
声高に主張する一部マスコミや一部の政党。

彼らはいったい、どんな知識と良識と目的でもって
そんなことを言い続けているのでしょうか。


もはやそんな連中は、ウジ虫以下です。




この文章へのリンク
http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130914


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才能は枯渇する。 2013年
9月12日(木)




“引退するから賞をくれ”


そう言われても、この内容ではいくらなんでも
賞はあげられなかった、ということでしょう。


宮崎駿監督の「風立ちぬ」。

その隠しテーマは、まさに “才能は枯渇する” でした。


劇中、「創造的才能は10年間」といった言葉が繰り返し出てきます。

それは表面的には、主人公の堀越次郎が特異な才能を
発揮した10年間が戦争の時代であり、彼が創り上げた飛行機が
あの、翼が印象的な「九試単座戦闘機」やゼロ戦(零式艦上戦闘機)
という兵器であったということを、不幸なこととして描いています。

つまり、ただ“美しい飛行機”を目指した天才が、戦争の時代に
生まれてしまったがゆえに殺人の道具を作らざるを得なかった。
しかしそれでも彼は懸命に生き、“美しい飛行機”を歴史に残したと。

だから、キャッチフレーズが「生きねば。」


しかし一方で、「創造的才能は10年間」という言葉は、まさに
宮崎駿自身に向けられた刃だったのではないでしょうか。


今回、舞台をファンタジーから現実に置き換えたにも関わらず、
内容はあまりにも幼稚でした。

彼の映画は昔からそうですが、美しい風景とちょっと幻想的な
シーンを積み重ねればそれで物語になると思っています。

ストーリーテリングが稚拙で、すべてのシークエンスが尻切れトンボ。
途中は退屈なほどカットを重ねるにも関わらず、肝心の内容が
物足りないまま次の話になってしまうため、観る者は置いてきぼりを
喰らいます。かといってのちに伏線が張られているわけでもない。

それでもまあ、これまでの宮崎駿ならバケモノがたくさん出てくれば
なんとか繕うことはできたかもしれません。しかし今回出てくるのは
人間だけですからその手は使えず、ストーリーテリングの稚拙さ
だけが印象に残る形になってしまいました。

また、宮崎駿は激しい恋愛をしたことがないのではないかと
強く感じさせられました。

久しぶりの再会を果たして紙飛行機で遊び、最後にちゅーをすれば
それで恋愛が成就するなんて、いまどきの中学生ですら失笑です。
人間の心の機微が、全編どこにも見当たらないのです。
よく言えば、心はいまも少年のままなのでしょうか。


久石譲の音楽もまた、“才能の枯渇”を如実に物語っていました。

先の「崖の上のポニョ」で、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を
完全にパクッた音楽が出てきたときはひっくり返りましたが、
今回もドイツでのシーンで名曲のパクりでお茶を濁していますし、
印象的な音楽はひとつもありませんでした。

まさにひとつの時代、ひとりの才能が終わったな、という感じです。


実は、今回の宮崎駿の引退表明に先立って、スタジオジブリでは
興味深い動きがありました。


「研修生募集見送りのお知らせ」 (2013年7月9日)


詳しくはリンク先を見てもらえればわかりますが、今年9月と来年4月に
入社を予定していた研修生の募集を急遽、見送るというのです。

しかも「この件に関してのお問合わせはいっさいお答えできません」
との頑なさ。

さては宮崎駿の引退を見越して、経営の先行きが不安になって
きたかとゲスの勘繰りをしたくなってしまうタイミングでした。
(あくまでたまたまのことでしょうが)


クリエイティブな仕事をする者はみな、才能の枯渇に絶えず
怯え続けています。

それはいつ来るのかわかりません。もしかしたら明日来るのかも
しれない。いや、もう来ているのかもしれない。

その恐怖がある者をがむしゃらな創作活動に駆り立て、
またある者を創作とは離れた場所への逃亡に駆り立てるのです。


才能はいつか枯渇する。


その厳然たる事実を痛感し、引き際の大切さを考えさせられた
一日でした。



この文章へのリンク
http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130912


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妬みと悔しさと無知と。 2013年
9月 9日(月)




韓国の大手新聞のひとつ「中央日報」の
日本語版ウェブサイトです。

東京に決まってからずっと、中央日報日本語版では
五輪についてひと言も触れませんでした。



朝鮮語(ハングル)版では厭味ったらしい記事まで
いろいろと書いていたというのに。


日本人には読ませたくないほど悔しかったんでしょう。


結局、中央日報の日本語版ウェブサイトに東京五輪決定の
ニュースが載ったのは、決定から27時間以上がたった
翌9日の午前8時42分。

いくら悔しいとか妬ましいにしても、報道機関としては
いかがなものかと思います。






また、「イスタンブールに決まった」との大誤報を世界に
向け流した中国の国営新華社通信と中央電視台。

まあこれは1回目の投票のあと、マドリードとイスタンブールの
間で最下位決定戦を行ったのを決勝と勘違いしたのでしょう。

この対象ではなかった(1位通過)東京が落選と思い込み、
イスタンブールが決勝進出した時点で開催都市が決まった
ものと思い込んだのでしょう。


単なるバカです。


こんな隣人たちと過ごさなければならないとは、
やっぱり我が国はたいへんですね。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130909


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警察官のモラル低下。 2013年
9月 7日(土)



警視庁戸塚警察署には、著しくモラルの低い
警察官がいます。





歩道に放置された自転車の、さらに内側に自転車を放置。




盲人用の点字ブロックに迫る、見事な障害物。

店の客引きのお兄ちゃんさえ困り顔です。


9月3日午後8時過ぎのものです。




たまたまのことなら、私もここまで書きません。




しかし、同一人物と思われる警察官による
自転車の迷惑な放置は、この周辺でよく目撃されて
いるのです。




ちなみにこの写真は8月24日午後8時ごろのもの。


どうやらこの警察官は、この置き方が歩行者にとって
迷惑であるということにすら思いが及ばないようです。



戸塚警察署は、西武新宿線においての痴漢騒ぎでも
いくつもの冤罪事件を起こしています。


署の体質なのでしょうかね。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130907


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ぬいぐるみを平気で捨てる店。 2013年
8月 19日(月)






あの「ゴリラの店」のゴリラが、捨てられてたよ…。


友人の娘さんがそう教えてくれたのは、
1か月ちょっと前だったでしょうか。


「ゴリラの店」とは、私たちがよく行く店の愛称。

高田馬場のビルの一部をスペインの一軒家風に仕立てた
洒落たイタリア風ダイニングバーで、ジャズのライブなども
行っています。





店内では、JBLの歴史的スピーカー「パラゴン」の上や
通りに面したテラス席に置かれたの籐椅子など、
あちこちにゴリラのぬいぐるみが置かれていることから、
私たちの間では「ゴリラの店」で通っていました。


その店の前を、その娘さんが友達とふたりで歩いていた
ときのこと。

廃品回収の軽トラックが店から走り去っていきました。

荷台には大きなゴリラが乗せられて。


実際に目撃したのは友達のほうだったと言いますが、
彼女はその事実に少なからぬショックを受けていました。


店のシンボルでもあり、多くの人に親しまれていたはずの
ゴリラのぬいぐるみを、やすやすと廃品回収に出し、
しかもその哀れな姿が人目につくように運び去るのを
許すとは。


まだいろいろなことを夢見て信じている小学生の彼女が
受けた心の傷は、決して小さなものではなかったはずです。


そりゃあ店にしてみれば、たしかにずいぶん昔から
ありましたし、古くなって不要になったのかもしれません。

でも、生き物をかたどったぬいぐるみなのですから、
誰かにあげるとか、捨てるにしても人目につかないように
するとか、せめて命あるものに準じるくらいの扱いをして
やれなかったのでしょうか。


なにか、この店の人々の心の冷たさを垣間見た気がします。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130819


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平和は守るものではない。 2013年
8月 15日(木)




靖国神社に行ってきました。


いまの日本の安寧と、私の家族があるのは、
ふるさとのために、愛する人々のためにその尊い命を
犠牲にした、多くの人々の存在があればこそと思うからです。


敗戦の日のきょう、靖国神社は凄まじい人出でした。



炎天下に並ぶこと、約1時間半。




私の横には古いフィルム式カメラを携えた
老人がいて、時々思い出したようにシャッターを
切っていました。

ファインダーさえ埃にまみれていたそのカメラで、
彼は、何を、誰に、残そうとしていたのでしょうか。






ところで、以前から気になっていることがあります。

それは、「平和を守る」という言葉。

平和って、“守る”ものでしょうか。
もし“守る”ものだとしたら、具体的にどうやって守るの
でしょうか。


「平和平和」と唱えていれば、平和が来るでしょうか。
それでは大乗仏教の念仏と同じです。現実社会において
まったく役に立ちません。


では、話し合いをすれば平和が来るでしょうか。

話し合いをしようとしても、聞く耳すら持たない狼藉者が
日本の周囲にいることは、いまや子どもすら知ってる時代に
そんなことを言えるのはやはり子どもだけでしょう。


私は、平和は守るものではない、と思っています。

平和はあくまで「現象」であって、モノではないからです。


では守るものは何か。

それは、ひとりひとりの家族であったりコミュニティであったり。
そしてその延長線上に国民があり、日本という国が
あると思うのです。


平和は、守った結果として生み出される“現象”。

これまで、あまりに安易に用いられてきた「平和を守る」
という言葉が、「平和」を安っぽいスローガンや念仏の類に
貶め、その尊さを半減させてきました。

そして平和に至る、大きな努力と多くの人々の犠牲を軽んじる
結果を招いてしまった気がするのです。


平和は、創りあげるもの、生みだすもの、そして維持するもの。


そう言い換えた瞬間、日本人の意識は大きく変わる気がします。




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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130815


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非道は非道だ。 2013年
8月 14日(水)




日本経済新聞の、きょう(8月14日)のコラムです。

空襲が太平洋戦争末期の限られた期間だけだったこと、
その空襲が始まった時点で敗北は明らかだったにも
かかわらず、日本が徹底抗戦を掲げ続けたために
東京大空襲、そして広島・長崎の原爆投下につながった
のだと説いています。

しかし、著者がなぜいまこんな話を引っ張り出してきたのか、
そして肝心の「何が言いたいのか」が最後まではっきりしない
うやむやな文章となっています。


実はこの文章、どうやら安倍晋三首相に対する非難の意味が
込められているようです。


安倍晋三首相は今年、広島・長崎での原爆犠牲者の追悼式典で、
原爆投下について「非道」という言葉を相次いで使いました。

日本人は唯一の戦争被爆国民だ。われわれには確実に
「核兵器のない世界」を実現していく責務がある。
その
非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがある。
               (2013年8月9日 長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)


戦時国際法ですら非武装の市民(非戦闘員)に対する攻撃を
禁じているというのに、米国は木造家屋を焼きつくすことを狙った
焼夷弾の雨を東京などに降らせ、高熱と爆風による壊滅的破壊と
放射線による大量殺戮を狙った原子爆弾を広島と長崎で炸裂させ、
無辜の市民を巻き添えにした大量虐殺を行いました。


安倍首相は「非道」という言葉を使うことで、おそらく日本の首相
として初めて、原爆を使用した米国を直接非難したのです。
その意味は歴史的にも非常に大きいものがありました。


どうやら上の日経のコラムは、この首相の姿勢を暗に咎めている
ようです。

「原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい」

この言葉に著者の意図が集約されています。

つまり彼は、原爆を落とされたのは敗戦を受け入れなかった
軍部のせいだと。米国のせいではないのだと。
「非道」という言葉で米国を非難するのは筋違いだと。

さすが、“米国基準の偽グローバリズム”を信奉し、日本での
布教にいそしんできた日経らしいと言えばそうかもしれません。


しかし、なんという自虐史観でしょうか。


これまで、戦後日本を支配してきたのは、
「日本が悪いことをしたんだから、何をされてもしかたなかったのだ」
という言い訳でした。

ポツダム宣言受諾による「無条件降伏」の意味をはき違え、
日本人はそれまでの価値観や歴史すべてを否定してしまいました。
精神的な「無条件敗北」「無条件自己否定」に陥ってきました。

それが現在の日本人特有の精神的な弱さ、他者への過度な依存、
そして他者を尊敬できない風潮、という日本の不幸につながって
しまった気がしてなりません。


たしかに歴史は勝者が作るものでした。

「東京裁判」は、まさに米国をはじめとする連合国という勝者が、
日本という敗者を一方的に裁いたものであり、そこに正義は
ありませんでした。
日本にとって、その結果を受け入れるほか道はありませんでした。


しかし「非道」は、「非道」なのです。

戦時国際法に反し、無差別の大量殺戮を行った米国は、
いまもその行為自体が「人道に対する罪」に問われるべきです。

勝者によって作られた歴史は、歴史自身によってもう一度
裁かなければならないのです。

ふたたび「正義」の名のもとに。





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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130814


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プレハブ大学、出現。 2013年
7月 29日(月)




新宿区の、廃校になった中学校の校庭に、
巨大なプレハブ校舎が建てられています。

これ、大学の校舎だというのです。驚いたことに。





「早稲田大学 大久保3丁目仮設校舎」。




調べてみると、このプレハブ仮設校舎は、すぐ隣にある
理工学術院(旧理工学部)の一部校舎の改修工事のために
造ったものとのこと。

52号館改修工事に伴う52号館別棟(仮設校舎)の使用について




まあ、10万人も学生がいるマンモス大学だけあって
仮設校舎も巨大になるのでしょう。

とはいえ 30年前のベッドタウンの小学校じゃあるまいし、
いまどきこんなとってもチープなプレハブで勉強させ
られるなんて、高い学費を払わされている親が見たら
いったいなんと思うことやら…。


しかし、次々と建て替えられ新しくなっていく
本部(早稲田)キャンパスの文系学部の校舎に対し、
理工はほとんど手つかずのまま。




せめて、早稲田大学建築学科の技術の粋を集めて
建てたものの、設計ミスで完成当初から傾いている
という51号館くらい建て替えてあげてはいかがかと…。


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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130729


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バカ呼ばわりする店。 2013年
7月 5日(金)




店内に、「バカ」と書いてあります。

しかも、客の座るソファの後ろにデカデカと。

落書きじゃありません。
これはれっきとした店の内装なのです。

目を疑いました。
これじゃあ客をバカ呼ばわりしているのと同じです。




この、“客をバカ呼ばわりする店” はマクドナルド。

目白駅のすぐ横にある店です。




この落書きのような「バカ」の文字。

描いてあるのは2階の奥のソファー席ですが、
1か所じゃありません。




ほら、ここにも。




画像を反転してみれば、やっぱり「バカ」と。


どういう経緯でこの内装になったのかは知りませんが
いくらなんでも客にとっては不快極まりない。


しかも、店の人間が誰も気づいていないというのであれば
もう異常というほかありません。


マクドナルドっていったい…。

どう釈明するか、聞いてみたい気がします。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130705


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カレー屋じゃなくってさぁ…。 2013年
7月 1日(月)





えーっ、カレー屋が入るのぉ?!


高田馬場駅の目の前の雑居ビル。

空いた店舗に何が入るか注目していたら
「カレーは高橋」というファストフードでした。

なんでも、山形のパチンコ屋が新業態で
東京に殴り込み。八重洲に続く2号店とか。


でも、ここには「すき家」が入ってほしかった…。


左が「松屋」で右が「吉野家」。

牛丼屋が三軒横並びで熾烈なバトルなんて、
間違いなく全国唯一、全国初。

想像しただけでもわくわくするのに。



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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130701


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“男”として女子王者に。 2013年
5月 18日(土)



何度読んでも、いくら考えても、納得いきません。

というか、まったく釈然としないこの記事。



                                           (毎日新聞 2013年5月18日)


ここで取り上げられてる25歳の“女性”は、幼いころから
自分が女であることに違和感を感じてきたといいます。

そして、2年前には「性同一性障害」の診断も得ています。

つまり自分は「男」だと。


しかし5年前から始めたボクシングではずっと女子として闘い、
あす(19日)の女子フライ級世界タイトルマッチで世界王者を
狙うと。


自分が女であることを否定しているのに、
なぜ女子の王者になろうとするのでしょうか?


「“今の自分のまま頂点を目指そう”と決心した」


毎日新聞のこの記事は、“彼女”の言葉をそう伝えて
いますが、私にはこれがまったく理解できません。

確かに肉体は女性のままだから体力・筋力なども
女性なのでしょうが、だとしても「男」である自分が、
女性たちを殴り倒して「女子王者」に就くことに対して
なんの矛盾も感じないのかと。

男として。





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http://www.totteoki.jp/negoto/negoto2013sm.htm#20130518


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